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1.物理学研究者の一般的な英語力(湯川秀樹の英語力-その1)

Posted on 2010年1月24日

あるとき湯川秀樹の欧文論文集を作ろうとの企画が持ちあがった。そのときお弟子さんたちは湯川の日本語の論文,それはほとんど本格的な論文ではなくて,挨拶を兼ねた講演を文章にしたものだったが,彼らはそれをいとも簡単に英訳して掲載した。この経緯を見て,危ないなーと私は思ったのでした。

この度ノーベル賞を受賞した「小林・益川理論」の益川敏英さんは,受賞講演で,”I am sorry. I can’t speak English.”と言って,あとはすべて日本語で話した。益川さんだってほかの物理学者に比べてそれほど英語ができないわけではないだろう。論文はほとんどすべて英語で読んでいるわけだから。

益川さんのように「できない意識」が過敏なのも困るが,一般の物理学者のように,「英語などできるつもり」でいるのも危ないと思う。(この点はあとで湯川との比較で明らかにしたい。)

理科学研究所の「仁科研究室」では(のちにノーベル賞を取った)朝永振一郎などの研究員が日本語でまとめた論文はすべて,仁科に提出し,(7年半の留学経験のある)仁科が英語で書き,発表するという形式を取っていた。のちに朝永は,自分たちの英語では心配でとても外へは出せなかったろう,教員になってみて,この学生たちの英語ではとても外には出せない,みなさん,わかりやすく,ほんとの英語で書いて下さいな,と呼びかけている,と述べている。

物理の英語論文は,日本数学物理学会の欧文紀要に発表され,欧米にも送られていた。それは各大学や研究室の雑誌用書棚に並べられることなく,部屋の隅に積んでおかれたり,書庫に入れられてしまったりで,ほとんど何の反響も戻ってこないのが通例であった。

ところが,1935年2月の湯川の「中間子論」の中間子らしきものが,同年11月になって宇宙線の中に発見されて,急に湯川論文が注目されだした。1937年にはその発見が『フィジカル・レビュー』に発表され,日本の理論物理学の評価が高まり,論文が読まれ始め,紀要が図書室の書棚に並べられるようになった。ちょうどそのころ朝永振一郎は交換留学生として,ドイツに行っていた。研究者が日本人の論文を持ってきては,ここはどういう意味かとよく尋ねられたと言っている。やはり一般には日本の物理学者の英語論文は読みにくかったようだ。

1946年に湯川は Progress of Theoretical Physics という欧文のジャーナルを創刊し,理論物理の多くの論文を掲載し,日本の理論物理学を世界に広く紹介した。

湯川の考える通りで,英文の論文の引用件数は極めて高い。例えば,例の「小林・益川論文」は1999年の調査では物理学全体の2位で,3117回引用されていた。日本語の論文とは桁違いである。(そのときすでに1位も3位も4位もノーベル賞を取っていた。)
(村田 年)

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