8.プリンストン高級研究所へ(湯川秀樹の英語力-その2)
Posted on 2010年2月1日
1958(昭和23)年にプリンストン高級研究所から客員教授でと招聘される。日本政府もマッカーサーも乗り出してくれて,これが実現した。初めての日本人教授だというので,港にはたくさんの新聞記者や放送記者が待ち受け,たいへんな騒ぎとなり,その後も特別待遇で講演,会議,研究打合せと英語を使ってたいへんであったろうと想像される。(しかし,英語についての苦労話を見つけることはできなかった。)
(村田 年)
1958(昭和23)年にプリンストン高級研究所から客員教授でと招聘される。日本政府もマッカーサーも乗り出してくれて,これが実現した。初めての日本人教授だというので,港にはたくさんの新聞記者や放送記者が待ち受け,たいへんな騒ぎとなり,その後も特別待遇で講演,会議,研究打合せと英語を使ってたいへんであったろうと想像される。(しかし,英語についての苦労話を見つけることはできなかった。)
(村田 年)