言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:「『発問』という指導技術」を考える

Posted on 2010年3月29日

(1)「英語教育」(大修館書店)2010年4月号は、「『発問』で授業が変わる!」という特集をしている。「発問」と「指名」は授業をする際の基本的な指導技術だから、新学年を迎えるに当たって再考してみるのは意義のあることだ。この特集では、10の記事があるが、大きく分けて、「日本語での発問」と「英語での発問」の実例がある。後者は、今後増えるであろう「英語で進める授業」の見本にもなるが、両者の基本的な問題となると思われる点を取り上げてみたい。
(2)「英問英答(question-answering)」は、大正から昭和の初期にかけて日本の英語教育に大きな足跡を残した H. E. Palmer が唱道したもので、『英語教授法辞典 新版』(三省堂、1982)に詳述されている。その解説では、目的を「新文型の定着を目指す練習」に重点を置いているが、もう1つ、なるべく既習の構文や単語を用いて行う Oral Introduction(口頭導入) の内容理解を確認するという大きな目的がある。
(3)特集記事でも、教科書の新文型の練習と本文の内容理解を目的にしたものが多い。ただし、英語だけで新しい内容の理解を確認することには、かなり無理があるように思う。例えば、「過去形の受身」の導入と練習で、”This is a koala. It is seen in Australia. などから、(恐竜の絵を示して)”How about this?”と問い、”It was seen on the earth.” を導く例がある(p. 19)。
(4)“be seen” は「見られる」と理解できても、「生物が(生息して)いる」という意味まで推測させるのはかなり難しいと思う。中学では、多くの過去分詞が初出となるので余計に困難であろう。この記事の筆者も、まとめの1つに「発問より説明が適する場面を見極める」と書いている。ここは日本語で説明をしたほうが適している場面ではなかろうか。
(5)同じく中学2年の例として、次のような教科書の本文を扱う例がある。
Ratna: This is a photo of my sister.
Ken: Oh. What’s she wearing?
Ratna: A sari.
Ken: It’s beautiful.
Ratna: Thank you. She likes wearing a sari.
(下線部は新語)
この内容についてWhat is beautiful? といった問いをするわけだが、不自然さは免れない。学習のための練習はある程度不自然さはやむを得ないが、答は ”A sari.” とするか、”The sari.”とするか迷うところだ。”wear” の進行形や動名詞との違いなども“できる生徒” ほど疑問に思うであろう。
(5)言葉の理屈は、学習者にはすっきりとしないことが多い。ましてや、外国語として学ぶ場合はなおさらである。疑問に思いながらも、あきらめないで学習経験を積み重ねていくのが最善の解決方法だ。“あきらめさせない”ことも教師の指導方法にかかっている。(浅 野 博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.