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浅野:英語教育批評:「教育実習と英語教員の養成」を考える

Posted on 2010年7月17日

(1)去る6月19日に関東甲信越英語教育学会の月例研究会に参加した。発表は東京学芸大学の高山芳樹氏による「教育実習生の育て方を考える~大学における事前指導~」で、指導の実例などをビデオ録画で見ることができた。学芸大も教員志望以外のコースがあり、優秀な学生が必ずしも教員になるとは限らない事情があるようだが、私が知る限りでは、英語教員養成に関しては、スタッフもカリキュラムも恵まれている大学だと思う。
(2)高山氏は、「実習校の教壇に立たせる前に身につけさせること」として、次の3点を指摘する。
① 授業観察の視点 ② 英語教師に必要な英語力 ③ マクロに授業を組み立てる術
 いずれも重要なものだが、私はやはり「英語力」を第1に考えたい。しかも、これがなかなか定義しにくいものなのだ。今は、「英語力」というと、TOEIC 700点以上、といった基準が問題にされることが多い。しかし、それで十分とは言えないし、600点では英語を教えられないと断定はできない。最近は、小学校教員に理科系の科目が不得意な者が多く、生徒に悪影響を与えているという指摘があった。教員が教える科目に自信がないというのは大きな問題である。
(3)高山氏は、まず学生に50分の英語授業の実例を観察させるところから始める。その際、次のような観点を意識させる。「授業全体の感想を列挙し、場面を思い出しながら、自分の意見を論理的に組み立てる」「授業中のすべての営みには目的がある」「辛口批評家で終わらない」などの注意事項に異論はないが、私は、最初から少し欲張り過ぎていないかと、心配になる。教員志望の大学生でも、授業を見て、こうした留意点を実践するのはかなり難しいと思う。
(4)授業を「前時の復習」「新教材の導入」「音読指導」「言語活動」などに小分けして、それぞれのねらいと問題点を意識させるのも1つの方法だ。教師の実力や生徒のレベルによって、授業の問題点は違ってくるので、「同じ視点」に固執するのはかえって障害にもなることがあろう。特に教員養成大学/ 学部ではない処では、一定の単位さえ取得すれば教員免許を取得できるが、実習校での教員の指導と大学での指導とのギャップに悩む実習生も少なくないのである。
(5)高山氏は2時間近く話されたので、その要点を紹介するのは困難であり、誤解を招く恐れがあるので、以上で打ち切りたい。1つ言っておきたいのは、氏のパフォーマスンスが優れたものであることだ。最近は政治家のパフォーマンスなどは悪い意味で使われることがあるが、教師の良いパフォーマンスは必要なものである。学習者はそういう教師をモデルとして、発音、ジェスチャーなどを学んでいくからだ。今後とも、東京学芸大学が模範的な実践を進められることを期待したい。
(5)最後に、今回の高山氏の守備範囲を超えた問題を指摘しておきたい。それは、今後、教員養成はどうあるべきか、という大問題である。安部元首相のように、「教育基本法さえ改正すれば、悪い教員の首を切れるのです」といった考え方は困る。政治家は「教育は大事だ」と言いながら、実際は何もしないでいるのだ。なんとかしなければ、とやきもきする昨今である。(浅 野 博)

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