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浅野:英語教育批評:「入試の問題」について思うこと

Posted on 2010年7月23日

(1)「英語教育」(大修館書店)の2010年8月号の特集は、「大学入試が変われば英語教育も変わる?!」である。「入試の問題」は古くて新しい問題である。「古い」というのは昔から同じような議論が繰り返されてきたからである。したがって、「なぜ繰り返されるのか」ということの追及が必要なのだ。「新しい」というのは、学校制度、カリキュラム、生徒の学力などが変化すれば、当然「新しい入試方法」を考えなければならないからだ。
(2)そういう観点から、冒頭の10ページに及ぶ座談会を読むと、何か物足らなさを感じる。座談会の参加者は、根岸雅史(東京外語大)・松沢伸二(新潟大)・佐藤留美(都立西高校)・豊田有紀(中央大附属中・高)・中野達也(都立白鴎高校)の5氏である。司会役でもある根岸氏は、テスティングの専門家と承知しているが、話題の突っ込み方がやや手ぬるい気がするのである。例えば、センター入試を話題にするならば、なぜ共通1次とその後のセンター入試が必要になったかという背景を検討すべきであろう。この座談会では、「センター入試の存在意義」は最後のほうになって取り上げている。しかも、入試センター自身が、「到達度試験とともに、選抜試験としての機能をもたせるために、平均点を60点くらいにしている」と説明していることを松沢氏が紹介している。
(3)松沢氏は、入試の現状について国際的な視野で研究していて、その知見を随所に紹介しているが、その発言が生きてこないのは、参加者のつっこみが不足しているからだと思う。これでは、同じ議論を繰り返すだけになる。「いまは推薦と AO 入試の割合が高くなって、問題になっていますね」(松沢氏)、とか「極端な話、英語の試験を受けなくても入れちゃうんですよね」(豊田氏)、という発言があるが、せっかく「新しい問題」で、しかも重要な話題が、この程度の発言で終わってしまっているのだ。「“学科のテスト”を受けないでも入れる」というのは、「極端な話」ではなく、かなり強い傾向になっている、という現状を分析してほしと思うのは私だけであろうか。
(4)現実問題としては、受験生世代の減少化にともなって、かなりの大学が学生をいかに集めるかに追われているはずである。そして、全体的に学力が低くなると、海外留学の機会があっても応募しないとか、大学へ行くならば、なるべく楽に入れ、楽に卒業できるところを選ぶとか、安易な道を選ぶようになる。これでは、選抜試験の意味などは、ごく一部の有名高校や大学に限られてしまう。そういう学校の出題者たちは、問題批判の声など聞こうともしない。自分たちの職場が安泰ならばそれでよいからだ。このことが入試問題解決の大きな障害になってきたと私は考える。
(5)私は、毎年センター試験の英語問題が発表になると、自分でまず解いてみるが、その出題技術は向上しているとは思えない。一言で言えば「欲張り過ぎ」である。1つの材料で、あれも試そう、これも試そうとするのは、受験生いじめに過ぎない。テストの素材は、読みやすくする配慮が大切だ。このことは座談会中でも指摘されていたが、もっと強調すべき問題点の1つだと思う。(浅 野 博)

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