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かつての先生

Posted on 2010年9月6日

●教育にとって最も大切なのは? ― それは先生!
3.かつての先生
ここで問題にするのは原則として小学校教員とします。終戦のころ,すなわち,昭和20年代に私の父親は小学校の校長をしていた。新制中学校ができ,義務教育の教員はまったく足りなかった。校長の仕事は,人を探し,何とか担任の先生のいないクラスを作らないことであった。

「森田屋のお兄ちゃん,どうだろう。かき氷やっているけど,あれで旧制中学出ているんだって。」「あのお兄ちゃん,すごく野球うまいよ。教えるもうまいし。感じいい!」「そうかちょっと聞いてみるか…。」それから間もなくお兄ちゃんは,かき氷をやめて小学校で教え始めた。算数も理科も面倒になると,さー外へ出て,と野球を始めるが,なかなかの評判だった。

こうして多くの若者が「先生にでもなるか」「あいつは先生にしかなれないよ」(でもしか先生)として,代用教員に採用された。そして多くは,教科指導に悩み,生身の生徒にもまれて,だんだんと立派な先生に育っていった。こんな時代もあった。

今から推察してみるに,上で見たような非正規の代用教員が一部存在したが,中心は正規の師範学校出で固めた日本の教育は,形式としては世界に誇れる形であったであろう。
(村田 年)

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