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浅野:「英語学習環境の破壊」を考える(その2)

Posted on 2011年9月8日

(1)前回、「でたらめな英語が氾濫している」ことを指摘したら、ある年配の方から、「それを言うなら、若者をが聞いたり歌ったりしている歌詞を問題にすべきではないか」というご指摘を頂いた。ごもっともなことであるが、この問題は指摘しだしたらきりがないし、以前にも問題にしたことがある。

(2)私はかなり前に「英語教育」誌(大修館書店)で、歌詞のことを問題にしたが、「正しい英語を考えさせる教材になる」という意見の英語の先生もおられて、そういう先生を説得するのを断念した経緯がある。宇多田ヒカルの書いた歌詞などは、初期の全文英語のものはまともだったが、日本語を交えたものは、他の歌詞と同じように英語にする意味がない箇所が増えている。プロデューサーなどが、“日本の若者に受ける歌詞”を要求するのであろう。

(3)中高生に言語の「音(おん)」を教えるのに、「『国語音声学』のような書物は実用的でない」と前回書いたが、手元には、斎藤純男『日本語音声学入門』(三省堂、初版1997、改訂版 2006)という本がある。「入門」とは称しても、やはり音声学の専門用語がたくさん出てくる。著者は東京外語大でモンゴル語を学び、米国インディアナ大学でアルタイ諸言語を専攻しているので、そうした諸言語との音声的比較を述べておられるが、中高の英語学習者に必要な知識とは言えないものである。

(4)私が昭和30年 (1955) 前後に、中高校生に英語を教えていた頃は、小さな手鏡を持参させて、自分の口の形を映してみながら、英語の発音をさせたものだ。または、ティシュウ(当時は“ちり紙”)を細く切って口の前にたらして、[ p ] の発音の時に、その紙片が揺れるかどうかを実験させたこともある。私の知る限りでは、現在の英語教室で、そういう指導をされる教員はほとんど居られない。パソコンを使って口腔図を見せたり、オシログラフのような図形を提示したりすることはあるが、学習者に分かりやすいかどうかは別問題であろう。

(5)日本語の [ン] の音を出すときに、「口は閉じているか、開いているか」を This is a pen. の [ pen ] の場合と比べさせるとよい。「かんたい(歓待)」、「しんぱい(心配)」などの「ン」の時に口はどうなっているかを考えさせるのもよいであろう。適切な例ならば、小学校の高学年生でもわかってもらえる可能性がある。音声学の理屈ではなく、実際に舌の位置や口の形を意識させることが重要なのだ。

(6)小学校の教員になる人が音楽や水泳を学ぶことも大事であろうが、“実践的音声学”を学ぶことも必修にしないと、“英語の学習の環境破壊”は止まらないと私は心配する。改革には時間がかかるが、目指してもらいたい目標だ。(浅 野 博)

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