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ドナルド・キーン氏から学ぶこと

Posted on 2012年5月28日

(1)ドナルド・キーン氏が5月8日(2012年)に日本の国籍を取得したという報道がありました。カタカナ表記では、「キーン・ドナルド」としていますが、ここでは、「キーン氏」で通すことにします。インターネットなどで見るキーン氏は89歳とは思えない元気な姿で、満面に笑みをたたえていました。これまでも、欧米との間を行き来しながら、日本にも長いこと住み、数々の賞や勲章を受けているわけですが、今回は、東日本大震災の被災地を訪れて、被災者を励ましたいと意気込んでいるとのことです。

 

(2)キーン氏は数多くの書物を書いていますが、私も何冊か読んだ覚えがあります。日本人がいつも日本文化の中に浸かっていて気付きにくいことが、異文化の人を通して見ると分かりやすいということがあります。手元には、『日本人の質問』(朝日選書、1983)がありましたので、それを読み直しながら、英語教育にも参考になる問題点を考えてみたいと思います。

 

(3)まずこの本は、「当惑―何たる好奇心」と書き出してあります、「日本人は好奇心の旺盛な国民として世界に知られている」が、それも決して新しいことではなくて、1811年に現在の北方領土の一部であるエトロフでロシア軍人たちを捕えた時には、日本の役人は間断なく尋問したというのです。それは拷問などではなく、ロシア語のことを知りたいという好奇心からのものだったと書いてあります(p. 5)。

 

(4)第2次大戦の日本の敗戦後数年で、私はある県立高校の教壇に立ちましたが、ほとんどの生徒が英語を学ぶことに強い関心を示してくれました。あのような知的好奇心は、今はどこへ行ってしまったのでしょうかと淋しくなることがあります。キーン氏は、「日本語を勉強するようになった動機は何ですか」をよく尋ねられる質問の最初に挙げていて、あまり頻繁に尋ねられるので、ウソをついたこともあるほどだったと告白しています(p. 8)。

 

(5)日本のことを「東洋の小さな島国」という程度の知識しかない外国人が、「日本語を勉強している」とか「日本語を話せる」と聞くと、「一体なぜ?」と尋ねたくなる気持ちも分かるような気がします。キーン氏はいろいろ説明していますが、戦時中に海軍の施設で日本語の特訓を受けていますから、大きなきっかけは戦争であったと言えるでしょう(日本が英語を敵性言語として排斥していた頃に、アメリカでは敵国である日、独、伊の言語が話せ、文化が分かる将校を養成していたのです)。

 

(6)次の質問は、「日本語はむずかしいでしょうね」です。「日本語は特別な言葉だ」とか、「伝統的な日本文化は外国人にはわかりっこない」と思いこんでいる日本人が少なくないのも確かだと思います。それは自負心と劣等感が入り混じった複雑なものですが、この心理状態は英語学習にもかなりの障害になっていると私は考えています。キーン氏は、日本人の友人ができたのが31才の時で、それまでは、くだけた日常会話をしたことがなかったので、「丁寧過ぎる日本語」のほうが使いやすかったと述べています(p. 14)。ある言語を外国語として学ぶ人たちは、多少不自然でも丁寧な話し方をすべきだと私は思っていますから、キーン氏の立場はよく分かりますし、それでよいのだと考えます。

 

(7)キーン氏は次のようにも書いています。「日本人はアメリカ人の無知を残念に思うと同時に、外国の教科書に人力車の写真が載っていると知ると、どうせ日本は外人に理解してもらえないというあきらめと、一種の軽い優越感を覚えるようである」(p. 167)(ここで言う人力車は、現在でも東京の浅草あたりで見られる観光客向きのものではなく、自動車の代わりに日常使われている状況を指しているものです。)そして更に、「数々の希望と数々の失望の末、善意ある人間の努力によって理解を得ることは不可能ではないであろう」と結論しています。私も同様な思いを強く抱くものです。“国際理解”や“異文化理解”はいつの時代でも簡単なものではないからです。(この回終り)

(浅野 博)

 

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