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「スローラーナー」の指導を考える

Posted on 2012年6月19日

(1)私が高校の教師になりたての昭和30年頃にも、研究会などで「“遅進児”の指導について」といったことは話題になっていましたから、この問題は英語教育の長年の課題と言ってよいでしょう。今回、「英語教育」(大修館書店)の2012年7月号が、「スローラーナーに寄り添う」という特集をしていますから、半世紀の間に、遅進児問題がどのように変化したであろうかと、とても関心を持ちました。

 

(2)個人的には、“寄り添う”という言い方は好きではありません。寝たきりの老人の介護を連想させるからです。私は寝たきりの高齢者やその介護のことを軽蔑するつもりは毛頭ありませんが、教室の指導でそういう“介護”が必要ならば、とても普通の教員が担当できることではないと思うのです。そこで、特集の2番目の記事、三木さゆり(大阪市立長吉中)「特別支援教育の視点を取り入れた英語指導」を読んでみました。

 

(3)私が繰り返しこのブログで要望しているように、「英語教育」誌の執筆者は、「このくらいは知っているのが当然」という上から目線ではなく、まず基本的なこともしっかり定義をして書いてもらいたいのです。文科省のホームページによれば、「特別支援教育とは障害のある生徒児童の社会参加に向け主体的な取組みを支援するという…」とあります。お役人らしい長たらしい文章が続くのですが、私が気になるのは、「障害のある生徒児童」という言い方です。

 

(4)「学習障害」(learning disorder)という用語は、私は教育心理学の本か何かで知った覚えがありますが、今では広辞苑にも載っています。アメリカでは、1960年代からその研究や対策が始まったようです。知能指数が特に低いわけでもないのに、文字を読むとか、簡単な計算をすることなどが出来ない児童がいることが分かって、特別クラスを設けたりして指導しだしたようです。

 

(5)上記の三木氏の記事では、「授業の見直しは、こんな小さな配慮から」という小見出しで、「視覚的な読みの問題なら、板書やプリントを見やすくします」とあります(p. 15 )。アメリカで学習障害者の対策が始まったのは、「文字が読めないのは目が悪いのだろう」と考えた親がその子を眼科医に連れて行ったのがきっかけとされています。つまり、見えているのに“読めない”学習障害児童の発見になったのです。実際には、視力が弱くて板書の文字が見にくいのに、メガネやコンタクトをするのが恥ずかしい生徒もいるでしょう。しかし、そうした生徒は、“スローラーナー”の範疇には入れないほうがよいと私は思います。

 

(6)最初の記事は、泉恵美子(京都教育大)「スローラーナーのつまずきの原因を探る」という題です。言葉尻をとらえるようで失礼ですが、スローラーナーが学習につまずくのは当然ですから、普通の学習者がつまずいて“スローラーナー”になるという意味なのか私にはよく分からなくなりました。氏は「(生徒が)発達障害・学習障害などを抱えている」場合は、教師がいち早く学習の困難さやつまずきに気づき、個別指導を行う必要がある」と述べています( p. 11 )。そうなると、普通に何時間も授業を担当している教師には無理な話ではないでしょうか。制度上の対策が必要なのです。

 

(7)「英語教育」の2011年2月号が、「英語のリメディアル教育」を特集した時に、私は50年前の滞米中の経験として、引退した経験豊かな教師を再雇用して、普通クラスの倍以上の時間をかけてリメディアル教育を実践している場合を紹介しました。こうした制度上の裏付けが無ければ、とてもスローラーナーに対応することは出来ないと思います。今回の特集の記事はどれも前提がばらばらで、指導技術上の問題を論じているものが多くなっています。少なくとも特定の教科に関係のない一般的対策と、英語教育の問題は分けて論じるようにして欲しかったと感じています。(この回終り)

(浅野 博)

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