言語情報ブログ 語学教育を考える

“ESD とは何か?”を考える

Posted on 2012年9月14日

(1)昨日(2012年9月11日)、東京書籍発行の教育情報誌『教室の窓』(vol. 37)が届きました。その特集は、「持続可能な社会を構築する力を育てる―ESD の取り組み」となっています。まず、「“ESD”とは何だ?」と思う英語教員は少なくないと思いますので、まず、この用語の意味することを考えてみます。

 

(2)冒頭の記事は、三宅征夫(国立教育政策研究所名誉所員)「総論『学校における ESD に関する研究』の概要」を読んでみました。私は持論として、「啓蒙的な雑誌の記事はやたらと新語を使うべきではない」と考えていますが、教育学は1つの学問として、日進月歩の進歩をしていますから、新しい概念やそれに伴う用語が生まれて当然だと思います。

 

(3)しかし、私はこの最初の記事のタイトル「学校における ESD に関する研究」を見て、「教育現場で、ESD の研究がそんなに進んでいるのであろうか」と疑問に思ったのですが、記事をよく読んでみて、私の誤解であったことが分かりました。真意は、「“教育現場で ESD を活用するための”研究」といった意味だったのです。日本語でも英語でも、誤解しないように読む、または、誤解を与えないように話したり、書いたりするということは難しいことだと今更ながら思いました。

 

(4)三宅氏の記事によりますと、そもそも、ESD (Education for Sustainable Development:持続可能な発展のための教育)は、日本が 2002年に国連に提案して採択されたものとのことです。日本からの提案が、国際社会で認められるということは大変結構なことだと思いますが、私は、「提案内容にふさわしい教育実践がなされているであろうか」という不安を覚えるのです。文科省の教育方針を調べていると、文科省のサイトでは、「生きる力を育むために」という文言が踊っていることに私は疑問を感じました。

 

(5)そもそも、「生きる力」というものは、学校教育で教えられるものであろうか、ということです。教員が生徒の前で、「命は大切だ」とか、「生きることこそ立派なことだ」と語っても、どれだけ生徒の琴線に触れることが出来るのでしょうか?昔は、家庭で可愛がっていたペットが死んだとか、祖父や祖母の死亡を体験することで、命の大切さを実感することが普通だったのです。現在は核家族になって、そういう体験がしにくくなったからといって、学校教育で命の大切さを教えられるものであろうかという疑問はどうしても拭えません。

 

(6)文科省では、家庭科を「持続発展教育」の1つに挙げて、その内容の充実を目指しているようですが、TBS の番組(噂の東京マガジン)に、海水浴や買い物を楽しんでいるギャルたちに、「ドライカレー」とか、「アジのたたき」などを作らせるコーナーがありますが、とんでもない失敗作がほとんどで、うまく出来る人は10人中、1人か2人というのが、毎回の成績です。中学1年生程度の英語が言えない人が多いのといい勝負です。「持続発展」などとんでもないのです。

 

(7)文科省は、もっと地道に教育現場の実態を調べて、その状況に応じた対策を進めるべきだと思います。選挙ではあるまいし、耳に感じ良く響くスローガンを並べ立てることは止めてもらいたいと思うのです。教育現場を知らないお役人が作った文章ということは、読めばすぐに分かるのですから。(この回終り)

(浅野 博)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.