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“アメリカとの距離の置き方”を考える

Posted on 2012年10月9日

(1)「このタイトルはどういう意味なのか」といぶかる方もおられると思いますので、その説明から始めます。英語が好きで英語教師になった人が多いでしょうから、英語話者の住むイギリスやアメリカが大好きだという人も少なくないと思います。しかし、“惚れ込んで”しまうと、弱点や欠点が見えにくくなってしまいがちです。“教える立場”の教師としてそれでよいのであろうか、という疑念が私にはあるのです。

 

(2)日本文学の研究者である林 望(はやし・のぞむ)氏は、イギリスに留学してから、『イギリスは愉快だ』(平凡社、1991)とか、『イギリスは楽しい』(平凡社、1991)といった書物を出版しました。研究者、評論家としての幅の広さは私など驚嘆に値するものと思いますが、イギリスに“惚れ込んで”しまった姿は、少なくとも教師向きではないと思えるのです。教師という立場は、学習者に先入観を与えないように、教える対象物からは“一定の距離を保つ”ことが望ましいと私は考えるからです。

 

(3)では、もう1つの国、アメリカとはどういう距離を保ったらよいのでしょうか。ここでは、佐伯啓思『新「帝国」アメリカを解剖する』(ちくま新書、2003)を参考に、「アメリカとの距離」を考えてみたいと思います。この本は、マンハッタンの高層ビルにハイジャックされた旅客機が突っ込んで、多数の犠牲者が出た惨劇(2011年9月11日)から説き起こして、その原因や結果を論じています。

 

(4)私もあの衝撃的なテレビ画面には恐怖を感じましたが、日時が経つにつれて、アメリカはあの事件が何故起こったのかということの追及を十分にしたのであろうか、という疑念が湧きました。「テロはひどい」「憎むべき犯罪だ」と考えた人が多く、当時は国力のあったアメリカが、ブッシュ大統領の意向で、アフガニスタンを攻撃したり、イラクに侵攻したりしたのは当然と考えた人が多いようでした。

 

(5)しかし、イラクでは、フセイン大統領は独裁者ではあったのですが、大量殺りく兵器の製造の証拠も、9.11 のテロの首謀者とされたウサーマ・ビン・ラーディン(メディアによって表記が違います)と関係があったという証拠も見つかりませんでした。この間の経過は、上記の書物に詳しく書いてあります(ただし、その後、ホワイトハウスはテロ攻撃を知っていたという“2.11テロ陰謀説”なども出ています)。アメリカの大統領は独裁者ではありませんが、大きな権力を持っていて、他国との戦争も始められるわけです。ベトナム戦争(1965~1973)への介入などは、全国的な批判を浴びて、ヒッピー族などの反戦風俗を産んだことは、まだ記憶している人も多いでしょう。どこの国にも、その歴史が長くなれば栄枯盛衰があるわけですから、どの面を評価するかによって、大きな差が生じるものです。

 

(6)日本でも大統領制にすべきだとの声がありますが、その前に「民主主義とはどういうものか」をもっと考えるべきでしょう。英語教育について言えば、英語教師の間でも、目的も方法論もしっかりしたコンセンサスを得られない現状をまず直視して、もっと活発な意見交換をする必要があると思うのです。(この回終り)

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