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浅野:英語教育批評:英語教育とコンピュータ(2)

Posted on 2007年1月23日

 コンピュータの機能が、テープレコーダーやこれまでのテレビと違うのは、人間の反応[応答]にある程度対応できることである。そうなると、教師の役目はどうなるかという問題が生じる。そして、コンピュータ(以下 PC)による学習は、一斉授業ではなく、自学自習向きではないかと考えたくなる。現に、幼児から成人向きのコンピュータ自習教材はたくさん売り出されている。
 私は、1990年頃からこうした疑問を抱きながら、PC による英語教育の実践もしてみた。単純なソフト(教材)では、「書き取り」がある。再生の繰り返しはTR より便利だし、学生は懸命に書き取ろうとする。ノートに書き取るのではなく、キーボードから打ち込めば、スペリングの間違いも指摘してもらえる。一方、簡単な操作で「正答」を見ることもできるから、怠ける学生はそれを写してしまう。学習者の画面を教師側から制御できるようにすることも可能だが、そうすると学生によって学習速度が違うので、積極的に先へ進もうとする者の意欲を削ぐことになりがちである。つまり、PC学習は、学習意欲のある者には効果的だが、意欲のない学生はやはり力がつかないという“格差”を生む。いや、PC には動機付けの効果があるから、教材さえよければ、意欲のない学習者が減るはずという見方もある。このように指導面だけでも複雑な問題があるのに、前回述べたように、PC教室は管理という大きな問題がある。しかも、どの教科も使えるから1教室くらいではとても足りない。
 PC学習(CALL)を主要な研究テーマとしている外国語教育メディア学会(LET)では、非常に進んだ研究実践をしていて、論文集 Language Education and Technology No.43 (2006) には、「動機づけ」「ディクテーションとシャドーイング」などに関する研究発表が見られる。しかし、こうした資料を参考にできる中・高の教師はとても数が限られるのではないか。地道な啓蒙活動にもさらに力を入れて欲しいと思う。
(浅 野 博)

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