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「音読」に関連した思い出のこと

Posted on 2012年11月19日

(1)昭和17年頃私は小学生6年生でしたが、国語の時間の1時間は、「話し方」に当てられていて、担任の男性の先生ではなく、女性の先生が担当して、教科書の音読を訓練されました。その先生は、教科書の既習の課を朗読して生徒に聞かせた後で、生徒の読み方について、「そこは強めるところが違うでしょう?」とか、「そこはもっと感情を込めて読みましょう」のような指導をしてくれたのです。

 

(2)「話し方」の授業が当時どの程度全国的に行われていたのかは分かりませんが、昭和初期、及び戦後間もなくの「綴り方教室」のようには有名になりませんでした。しかし、私は忘れないでおきたいのです。現在の民放の天気予報では、“若い女性タレント”に天気予報を読ませる局がありますが、「ところによって、飴が降るでしょう」と聞こえることがあって気になります。方言は使うなという意味ではなく、アクセントをごちゃ混ぜにして話すことには反対したいのです。

 

「現在の音読指導」について

(1)「英語教育」(大修館書店)の 2012年12月号の特集は、「音読指導の実践 Q & A」です。異言語として学ぶ英語の音読指導にはどういう問題提起がなされるのかと、興味を感じて読みましたが、いささか失望しました。それは個々の記事の内容よりも、編集方針に原因があるように感じました。15編もある記事の最初の3つのタイトルは、「音読にはどのような効果があるか?」「CAN-DO の中で、音読活動はどう扱うべきか?」「入試対策として効果は認められるか?」となっています。

 

(2)いずれも大切な問題点かも知れませんが、私はどうも納得出来ません。英語の指導で、「音読指導」を話題にするのであれば、まず、「どういう目的で、どのように実践するのか」を前提にすべきではないでしょうか。それなのに、「音読指導を実践しているが、それはどのような効果があるのか」といった入り方では、まごつく教員が少なくないと思います。雑誌の啓蒙記事のはずですが、最初のものは、研究の目的、実験、結果、検証といった研究論文に近いものになっているのです。

 

(3)西村光博(山口県公立小学校)「国語科ではどのような音読を行っているのでしょうか?」という記事が最後にあって、「すらすら型」、「イメージ型」、「論理型」といった音読方法があることを説明しています。その内容の是非はともかく、私は、音読の基本は、「正しく理解した内容をどれだけ他の人に音声で伝えられるか」ということだと思うのです。文部科学省のホームページには、「音読と朗読」」という見出しで、指導技術が細かく書いてありますが、それは、「海外子女教育、帰国・外国人児童生徒教育等に関するホームページ」なのです。

 

(4)しかも、「参考」として、「平成10年版学習指導要領では、『音読』『朗読』の文言が削除された」と書いてあります。平成20年の小学校学習指導要領では、文語体の文章について、「音読」の注意はしていますが、「朗読」のことではないようです。最近は舞台芸術の1つとして、舞台での朗読の分野が注目をされていて、先日、私はその実例をラジオで聞きました。そして、普通のテレビ画面よりもずっと想像力を刺激されると思いました。そういう観点からも、学習指導要領は時代遅れの感じがします。

 

(5)今回の特集記事では、私の見落としでなければ、指導要領の観点に言及したものが皆無なのは理解に苦しみます。どの記事も「指導技術」の解説にばかり力点があって、視野が狭いのです。特集記事は、「何が基本的な問題点で、実践上どのような注意が必要か」といった観点から構成してもらいたいと思います。(この回終り)

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