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浅野:英語教育批評:英語教育と「レトリック」

Posted on 2007年3月19日

 戦後間もない頃、ある大臣が当時はやりだした「エチケット」という語を「エケチット」と言って社会的な話題になった。当時私が教わっていた英語学の先生が、「このように音が前後してしまう現象を metathesis と言う」と説明してくれた。時宜を得た脱線話は何年たっても不思議と覚えているものだ。こういう「音位転換/転位」の例には「アキハバラ」→「アキバハラ」もある(これはどちらも使われる面白い例。略は「アキバ」だけ)。英語の例は、少し詳しい英和辞典なら示している。
 例の「女性は生む機械」については、「暗喩」(metaphor)」のことに触れて取り上げた英語教員もおられることだろう。政治問題としてでなくても、言葉の問題としても良い教材だ。学生も興味を示すに違いない。だいたい日本人は、「修辞学」などなかなか学べないのが普通だから、レトリックのことはほとんど知らない。もっとも表現の技術を得るには、良い文章をたくさん読むだけでも一般的には十分であろう。ことばの教員向きには、佐藤信夫企画・構成『レトリック事典』(大修館書店、2006)がある。英語の他にラテン語、独語、仏語などの用語も示してあり、その使用暦がくわしい。実例は日本語のものが主だが、コミュニケーション指導のためにも参考になる。中学レベルでも、like とか as の「〜のような/ に」を使った英文があったら、その譬えや比較が適切かどうかを考えさせたい。
 ところで、厚労大臣のあの言い方に奇妙な弁護論があることを知った(「週刊文春」2月15日号)。自民党のある議員は、「この大臣の発言を批判する人たちは機械をバカにしている」と言い、「コンピュータみたいな頭脳だと言われたら喜ぶのに」とも述べたそうだ。こういう“機械過信”は困る。航空機や原子力発電所の事故にしても、背後には機械の過信が潜んでいるはずだ。人間の考え方も愚かなことが多いが、だからといって、機械が人間なみに優秀だということにはならない。
(浅野 博)

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