日本語における「主語省略」の問題(5)
●(2)日本文学英訳における勘違いを検討する日本文学の小説とその英訳をいろいろと見ていて、ときどき省略されている主語が英訳では誤訳されていることに気がついた。
そこで、太宰治の『斜陽』とドナルド・キーン氏による英訳を取り上げて、その前半の5章について、原作と英訳とを突き合わせてみた。その結果、10数か所、英語の代名詞にして30数個の誤訳を見つけた。
「お母さま、おいでになる?」と私がたずねると、 「だって、お願いしていたんだもの」ととてもたまらなく 淋しそうに笑っておっしゃった。
“Are you going, Mother” I asked.“I must,” she said, smiling in an almost unbearably pathetic way. “He asked me to.”
適当な家をさがしてと頼んでおいたら、家が見つかったと言ってきた。だから「[私が]お願いしていたんだもの」で、英訳の最後は、 He asked me to. → I asked him to.とならなければならない。
当初私は、省略の補いは文脈(コンテキスト、意味の前後関係)によってなされると考えた。じっくり読めば、読解力によって省略はわかるはずだと考えた。しかし、ドナルド・キーンさんほどの当代一流の翻訳者がどうしてわからないのだろうと、この点がどうしても解決がつかなかった。
何年かが過ぎて、述語(動詞+助動詞・助詞)が力を貸していることに気がついた。
a) [私が]お願いしていたんだもの。
b) [あちらさんが]お願いしてきたんだもの。
c) [私は]出かけた。
d) [あなたは]お出かけになる?
e) [彼は]お出かけになった。
このように述語を見れば、主語は1人称か2人称かの区別がつくことが多い。これが前後の意味関係を大いに助けているのだろう。
さらにもう1例見てみると。
「かず子がっかり。だってお母さまはいつだったか、かず子は頸すじが白く綺麗だから、なるべく頸すじを隠さないようにっておっしゃったじゃないの」「そんなことだけは覚えているのね」「少しでもほめられた事は、一生わすれません。覚えていたほうが、たのしいもの」
“I’m disappointed. Didn’t you once tell me that my neckline was so pretty that I should try not to hide it? Didn’t you?”“Yes, I seem to remember something of the sort.”“I never forget a syllable of praise addressed to me. I’m so glad you remembered.”
「そんなことだけは覚えているのね」は[あなたは]となるので、“I”は“you”にしなければならない。
f) [あなたは]そんなことだけは覚えているのね。
g) [私は]そんなことだけは覚えているのね。
述語の使い方としてf)がふつうだが、g)もダメだとは言い切れない。しかし、どちらにするかは文脈、前後関係ですぐにわかるはず。こんなやさしいのをどうして間違えたんだろうと思う。
「覚えていたほうが、楽しいもの」も[私]のことであって、“you remembered”とはどうしてもならない。“you”とするためには、
h) [あなたが]覚えていてくれたほうが、[私は]楽しいもの。
となって、述語が変わってこよう。ここも、こんなやさしいのを間違えるとは驚きだ。
(つづく)