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浅野:英語教育批評:「ネイティブ・スピーカー信仰」(その1)

Posted on 2007年8月28日

 「信仰」というほどではなくても、「外国語を習うならば、ネイティブスピーカーから教わるのがよい」というのは、多くの日本人には“常識”になっていると言えよう。したがって、「英語を習うなら英米人から」ということになる。英会話学校はこのことを売り物にさえしている。
 「ネイティブ・スピーカー」については、松本安弘・松本アイリン訳『ネーティブスピーカーとは誰のこと』(丸善、1990)という興味深い本がある。著者はThomas M. Paikeday というインド人で、チョムスキーを含む著名な言語学者などのとの討論の形で、本書を構成している。今回はこの書物の紹介ではなく、もっと身近な問題を取り上げたい。
 東京書籍(株)の「東書Eネット」の小学校英語のページに、「ネイティブのアシスタントは必要ですか?」という記事が連載されている。著者はボストン出身の北野マグダ氏(立教女学院高校)で、第1回では、「英語のネイティブの英語は、本当にきれいで、正しいのでしょうか?」と問いかけている。母語が英語で、大学を出ている人ならば、正しい英語を話せるはずだが、日本人学習者の英語に合わせて、冠詞を落したり、複数形を使わなかったりといった例をよく見かけるとも言っている。日本人でも、相手が片言の日本語を話す外国人だと、自分の日本語も速度が遅くなったり、抑揚までおかしくなったりすることは確かにある。
 第2回目の冒頭では、アメリカの中学でスペイン語やフランス語を教える場合はもちろん、言語の種類が増える高校でも、ネイティブが教えるというのは条件になっていないと述べている。端的に言えば、ALT 制度を考える直すことを要求しているのだ。ALT とのティームティーチングをいかにうまくやるかを説いている書物は多いが、この制度が必要か否かの議論はほとんどなされていないのではなかろうか。(北野氏の第3回(9月号)が掲載された後に、この続きを書きます。)
(浅 野 博)

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