言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:理想と現実

Posted on 2007年9月25日

『英語教育』(大修館書店)の2007年10月号の特集は「英語の授業はどう変わったか、これからどう変わるか」だ。各編とも読みでがあるが、浮かび上がるのは「理想と現実」である。次の2編についてのみ感想を述べてみたい。
(1)江利川春雄「指導要領から見た授業の変化と展望」
江利川氏の文章はいつも小気味良い。文科省には「小気味悪い」もの(こんな言い方はないが)なのであろう。本稿については、1つだけ異議を述べたい。改善懇の要望について「実現した要求も少なくない」としている点である。確かに、「文法・文型の学年指定の廃止」は実現した。しかし、中学と高校の枠は依然として存在しているし、これは文科省の進める「中高一貫校」の意義とも矛盾する。指定語の数は百語に減ったが、総語彙数制限は撤廃されていない。中学の時間数も、今度の改訂でやっと「週4」にもどりそうである。「小クラス」も学童数の減少の結果であって、文科省の積極的な政策ではなかった。江利川氏も最後に要望されているが、そもそも指導要領そのものが、「手引き」であるべきだというのが改善懇の当初からの意図であったと思う。
(2)松永淳子「高校の英語授業は変わったか」
中学は平成14年から、高校は15年から現行の指導要領になり、それ以後のの授業の変化とあり方を多角的に論じている。大学入試については次のように批判している。すなわち、センター試験はともかく、難関校の二次試験では「和文英訳」や「英文和訳」が多く、「要求するのは実践的コミュニケーション能力よりも日本語処理能力と言わんばかりの問題を取り揃えている」と指摘している。こういう批判はまず効果がない。なぜなら、出題者側が、齋藤孝・斎藤兆史『日本語力と英語力』(中公新書、2004)などを根拠にしていたら見解が全く対立してしまうからである。まずこの書物を論破しなければならない。ところが高校側の見解も割れていて、受験校はむしろ現状肯定であろう。前途多難なのである。そして、私自身もこの書物の主張を全面的に否定しようとは思っていない。
(浅 野 博)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.