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浅野:英語教育批評:「教える側の論理」の反省

Posted on 2007年10月9日

 「このように教えたら理解できるはずだ」と教えるほうは考える。しかし、「学ぶ側の論理」とは必ずしも一致しないから、授業の効果はなかなか上げにくい。典型的な例を2つ考えて見たい。
(1)語彙指導における思い込み
 特に高校の段階で見られるが、「新語を教える場合は、その派生語、同意語、反意語などを与えると、生徒の語彙力が増加する」と考えて、これを実践する教師がいる。日ごろ自分で辞書を使いながら、大量の英文を読んでいる生徒ならともかく、新語1つさえ覚えられないのに、いくつも与えられては混乱するだけの結果になる。例えば、succeed (成功する)が出てきたら、
「この反対語は fail だぞ、名詞は success だ、形容詞は…」と言われたら、どれも身につかない。こういう場合は、succeed を使った易しい例文を5つくらい与えて暗記させたほうがよい。
 「語彙量を増すには語源の理解が役立つ」という思い込みもある。中には、「私はギリシャ語の素養がありますから、黒板にギリシャ語を書いて教えます」という声も聞いたことがあるが、あまり一般性のある方法とは思えない。
(2)文法事項の指導における思い込み
 不定詞の「名詞用法」「形容詞用法」「副詞用法」は、この順番で、まとめて教えるのがよいという声は中学でもかなり強い。しかし、コミュニケーションの立場から見れば、この3用法は等価値ではない。特に「形容詞用法」は日本語では「…すべき〜」とあまり日常は使わない言い方になることが多いだけにわかりにくい。
a) I have to do a lot of homework.
b) I have a lot of homework to do.
この2文の違いを説明するのはかなり難しい。しかも、ことあるごとに「この不定詞は何用法か」と尋ねる教師も have to do の場合には触れたがらない。生徒の不満は増大する。「文法指導」の重要性が見直されている今、こういう点の反省がないと依然として英語力はつかないであろう。
(浅野 博)

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