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浅野:英語教育批評:「基礎・基本」の考え方(その2)

Posted on 2008年4月1日

 基礎的な訓練が不足している1つの理由に「時間が足りない」を挙げたが、もちろんこの他にもいくつか考えられる。週5時間以上教えているクラスでもずいぶん時間を無駄にしている場合もある。その1つはALTなどとのコミュニケーション活動をしている場面である。例えば、好きなスポーツについて話し合っている場面で、「発音を間違った」とか「そこは文法的に正しくない。こう言いなさい」などと注意をし、練習をさせたりしたら、活動が中断されてしまう。したがって、そういう活動の場面では「矯正や練習はしない」ことになる。こういう方針には裏づけがあって、例えば、クラッシェンなどが説くナチュラル・アプローチでは、教師の役割として、「学習者に発話する準備ができるまで発話を強要しない、学習者のエラーを訂正しない」といった注意をしている(リチャーズ&ロジャーズ著/ アルジェイミー&高見澤監訳『世界の言語教授・指導法』(東京書籍、2007)p.234)。しかし、こういうところだけを日本の一般的な中学校の環境で応用しようとすることには無理がある。
 一人または1つのグループがクラスの前で活動をしているときは、他の生徒はそれを見たり聞いたりしている。意欲のある生徒ほど、「あの発音は間違いではないかな」とか「複数形の s を付けていない」のように発表者の英語に注意を向けている。その疑問に応えてやることも必要である。活動が一段落したところでは、総合的なコメントをして、「box の複数形はどうなるかな。みんなで言ってみよう」のように細かいところにも注意を払いたい。1分か2分くらいかければよいのだ。
 もう1つの問題は、基礎的な訓練はすぐに飽きられてしまうことであろう。英語学習では、同じような訓練を1時間も2時間も続けたら、飽きるのは当然で、上に述べたように、言語活動の中で、少しずつ触れながら継続すれば、進歩も自覚でき、基礎訓練の重要性も認識されるようになるであろう。
(浅 野 博)

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