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浅野:英語教育批評:“感動”の押しつけ?

Posted on 2008年9月4日

 首都圏のテレビ局では、日本テレビとフジテレビが、毎年夏に2日がかりの長時間放送を実施する。日本テレビのほうが元祖のようだが、後発のフジのはいりきりようもすごい。今年などは、裏番組をぶっ飛ばせとばかりに対抗意識を燃やしていた。日ごろ報道している、「エネルギーの節約」などどこへ行ってしまったのだろうか。
 日本テレビのは、「チャリティ募金」と「感動番組」が売り物だ。だいたい「募金」を「寄付金」の意味で使う誤用を広めたのもこの番組だ。アナウンサーが「たくさんの募金を持って来てくださいました」「こんなに募金が集まりました」などと繰り返している。最新の『広辞苑』でも、「募金」は「寄付金を集めること」としか定義していない。
 「感動番組」では、身体障害者や難病に悩む人たちが、どんなに努力をして生き抜こうとしているかを紹介する。もちろん、私も個々のこういう状況の紹介は真剣に受け止めたい。でも、あまりにも数が多いと個々の印象が薄れてしまう。こういう番組は、日ごろの放送で適宜取り上げるべきではないか。「それもやっています」と言うならば、くだらない深夜放送の1つでも止めて、再放送をしたらどうか。深夜(再)放送では、NHKのほうがはるかに有益なものが多い。おまけに、日本テレビでは、タレントなどによる演出過剰のマラソンがある。こんなものを本当の感動番組にぶつけるべきではない。おまけに、後日の放送では、またその“感動”をこれでもかと押しつける。
 この点は、英語教育も反省すべきことがある。中・高校では、「教科書に感動教材を」という声が強い。私は、英語教室で“感動教材”を扱うな、と言うつもりはないが、そもそも感動教材は、読んだ個人がその感動に浸ればよいので、そのあとの練習やテストには向いていないと考えている。どんな面白い推理小説だって、「あとでテストをする」などと言われたら、興味が半減してしまうであろう。もっと、教材の質と目的を意識した指導を心掛けるべきだ。
(浅 野 博)

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