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浅野:英語教育批評:「数の概念」について(その1)

Posted on 2008年10月6日

 「英語教育」(大修館書店)の 2008年10月号に「日本英語ウオッチング日記」というコーナーがある(編集の手違いかこのページは目次にない)。翻訳家のポール・レクター(Paul Rector) 氏が日本人英語学習者に英文を音読させると、複数形の S が消えてしまう現象について書いている。His friends や holidays の語尾の S が消えてしまうが、his とか Dallas や Texas の S は消えない。このことから、「ただ彼らは複数形の英単語は感知できないといっても、逆に他の単語の最後の S を残すことにより、英単語の複数形の充分な認知力を発揮していると思う」と書いている。
 この推測に私は賛成できない。学習者は、「この単語は複数形だ。日本語では複数形で言わないから S を落とそう」などという意識があるわけではないからだ。なぜ複数形の S だけが消えるのか。私の仮説は「単なる練習不足」ということだ。初期の英語教室では、先生が大きなカード(「フラッシュ・カード」)を使って、新語の発音や意味を導入することが多いが、「his」「has」「Texas」などは、文字のイメージと音がそのまま結び付きやすい。しかし、普通名詞でも規則的な複数形を練習することは少ないようだ。
 一方、英語を母語として獲得していく幼児でも発話の過程では、「3単現の(e)s」や「複数形の(e)s」を落とすことがよくある。日本語の幼児ことばの場合は、「マンマちょうだい」「ワンワン来た」のように助詞が抜けてしまうことが多い。文法的に重要な要素でも、コミュニケーションの目的が優先される段階では、許容されるのである。このコラムの筆者レクター氏は、日本語の初心者の頃は、複数形を意識すると「鉛筆達」「車達」と何にでも「たち」をつけてしまったとも述べている。これも中間言語としては自然な現象である。したがって、日本の大人もその点では同じだ。『明鏡国語辞典』は「人・動物以外にも使うことがある」として「花たち」「貨車たち」の実例を示している。
(浅 野 博)

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