浅野:英語教育批評:異言語の習得は難しい
「コミュニケーション」に明け暮れしている英語教育界でも「やはり基本的な文法を教えなければダメだ」という声が強くなりつつあるようだ。もともと、大学受験を目指す“進学校“では、「これを覚えろ」式の文法・訳読式授業が主流で、学習者に“意欲”さえあれば、教え方はどうでもよいということを実証してきている(ただし、本当の英語力がついているかどうかは不明)。日本語を習う外国人にも同じようなことが言える。成功者の多くは、自分で努力しながら文法を真剣に学習しているはずだ。助詞の「は」と「が」の難しさはよく知られているが、動詞の変化も難しい。「行く」「行けば」「行け」などは、漢字で読めば日本人にはどうとうこともないが、これをローマ字で表記すると、”i-ku” “i-keba” “i-ke” となって、“i” だけが語幹で、後は全部変化するのだから、これを覚えるのは大変だということがわかる。それに加えて、やっかいな敬語や代名詞の問題がある。
旧友の田崎清忠君の娘さんは、マイアミの大学で日本語を教えおられて、最近書かれた記事を読ませてもらったが、ある女子学生の期末試験の答案に小さなカードが添えられていて、そこには次のように書かれていたとのことで、その感想が書かれてあった:
「せんせい、ありがとう。あなたはわたしのともだちです!アンデレスさん」あんなに「自分のな名前にはサンはつけないように!」と教えたのにつけているのでガックリ。でもこういうカードが一番うれしいものです。
自分の名前に「さん」をつけてしまうのも問題だが、先生に「あなた」を使うのもよくある間違いだ。しかし、これはとても教えにくいことで、日本語の2人称の代名詞は種類が少なく、この場合は「先生」という名詞を代用しなければならない。このように成人が異言語を学ぶというのはとても難しいことで、かなりの個人的努力が要求されることをもっと一般の人たちにも知ってほしいと思う。こんなことを言うと、英語教師の不遜な態度と言われてしまうのであろうか。
(浅 野 博)