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浅野:英語教育批評:「英語教育界からの反論」のこと

Posted on 2009年2月6日

 長年、英語教育界で活躍されておられる金谷憲氏が、『英語教育熱—過熱心理を常識で冷ます—』(研究社、1908)を昨年末に出された。世間からの批判に英語教員がものを言わない傾向が見える時に、これは英語教育界からの反論として、私は大歓迎したい。ただし、注文をつけたいところもいくつかある。
(1)まず本書のタイトルであるが、「英語教育熱」で何を連想するであろうか。幼いわが子に英語の力をつけさせようと、塾通いをさせる親であろうか。「お前たち、英語ができないと将来何にもなれないぞ」と生徒を脅して、熱心に英語を教えている中・高の英語教師であろうか。両方の可能性はあろう。
(2)より大きな存在は、「英語の力をつけたい、英語が話せるようになりたい」と熱望している大学生や社会人のはずだ。そういう人たちを対象に、本屋には英語学習書があふれている。こういう現象を視野に入れるならば、「英語学習熱・英吾教育熱を冷ませ」とでもしたいところだ。
(3)副題で問題になるのは、「常識」という語だ。現在の日本社会は、昔からの“常識”が通じなくなっている。だから、おかしな現象が起こるのである。著者が、従来の“常識”だけを頼りにこの異常現象を鎮静化させようとしているなら、考え方が甘いのではないか。
(4)もちろん、本の中身については、随所に同感できる、または、よくぞ言ってくれたと思うところがある。「発音は英語話者並みでなくてよい。発音はそれほどうまくなくても、考え方や行動で国際的に立派な業績を上げている日本人がいるではないか」という趣旨のの主張(pp. 49-57) はその1つである。 (5)ただし、宮沢喜一氏や国弘正雄氏が、発音はともかく、英米人の知らない単語を使って話せる、という弁護には私は異論がある。政治家としての宮沢首相はその日本語がわかりにくかったし、国弘氏の日本語の文章は、難解な語句があって、私など2,3ページに1回は国語辞典を引いたものである。私の知人のアメリカ人は、彼の英語を“Encyclopedic English(百科事典的英語)”と呼んだ。英語を外国語として話す日本人は、まず平易な英語を使うことを心掛けるべきだし、英語教師もそういう英語を教えるようにすべきだと思う。
(浅 野 博)

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