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浅野:英語教育批評:オバマ大統領と麻生首相の英語

Posted on 2009年3月10日

 朝日新聞(3月3日)の「声」欄に「首相の危うい英語での会談」と題する投書が載っていた。投書者は67歳の無職の男性で、30年以上英語を教えた経験があるとのこと。論点は2つあって、① 平等であるべき外交の場で、相手の言葉でへらへらと挨拶をするのは、「矜持」がないということ、② 麻生首相がいくら英語が堪能でも、オバマ氏の百分の一、千分の一レベルなので、日本語さえ堪能でなく、海外では思いつきで話す傾向がある首相が何を話し合ったのか心配だというもの。
 私は① にも②にもに異論がある。まず英語で挨拶することだが、異言語の国へ行ったら、そこの言葉であいさつをすることは必ずしも“へつらい”とは思わない。儀礼的な心遣いだ。日本に来る俳優や歌手が、たどたどしい日本語で挨拶をすることがあるが、すべてが日本人にへつらっているわけではあるまい。昨年の日本人のノーベル賞授賞式では、司会者がわずかな部分だが、日本語を使っていた。たとえローマ字表記の棒読みだとしても、不快感をもった日本人がいたとは思えない。
 首相の英語は放送された部分で判断する限り、普通の中学生並みで、決して堪能などと言えたものではなかった。だからなおよかったと私は思う。警戒すべきは、彼の英語力ではなく、政治的、外交的な姿勢であろう。小泉元首相のように、日本では強気の姿勢で威勢のいいことを言っても、ブッシュの言うことにはすぐに賛成してしまう姿勢はそれこそ危うかった。麻生首相がホワイト・ハウスに招かれた最初の外国の首脳などと得意になっても、何ひとつ重要な結論を得た会談ではなかったと思う。
 オバマ大統領の演説が受けるのは、英語が母語であるばかりではない。複数のゴーストライターがいるようだが、日本の大臣のように官僚の作文をそのまま読んで答えるのとは違って、話す内容を自分のものにしている感じが強い。彼の経済政策や外交政策(特に対イスラエル問題)には弱点もあろう。しかし、何よりも大多数の国民の支持がある。国民の支持をほとんど失った麻生首相の問題を言葉の問題に矮小化してはならない。
(浅 野 博)

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