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浅野:英語教育批評:“ かんたん”ということ

Posted on 2009年3月26日

 今の世の中、すさまじい勢いでデジタル化が進んでいる。テレビ、録音・録画機器、携帯電話、パソコンなどは当然だが、こういうものは自分が使わなければデジタル化とは無縁でいられる。しかし、駅で乗車券を買うとか、銀行で自分の貯金を下ろすとなると無縁ではいられないことになる。多くの年寄りには(必ずしも年齢には関係ない場合もあるが)、これがとても厄介だ。知っている人に尋ねると、「そんなの“かんたん”ですよ」と言われてしまう。
 デジタル機器の広告ならば、わが社の製品は使いやすいですよ、という宣伝の意味で“かんたん”を使うのもわからないではないが、実際は“かんたん”でないことが多いのである。テレビだって、買えばすぐに映るものではない。人気グループのSMAP が、テレビのコマーシャルで、一人はテレビを買って困っている役を、別な一人が「そんな“かんたん”なことを知らないの?」といった態度を演じている。今までの常識が通じないのがデジタル化の世界だ。
 これを教育問題に転化して考えてみると、教師も“かんたん”と言ってしまうことがある。数学の教師が、複雑な数式を解いてみせて、「ほら、簡単だろう」などと言うと、わからない生徒は「自分はおバカさんではないか」と思ってしまうだろう。英語教師も、「こんな簡単な構文がわからないのか」と言ったりする。そのような教師は、今はやりの言い方をすれば、「“生徒の目線で”教える内容を見ていない」と言えるだろう。
 いつの時代でも、「知っている者」と「知らない者」との格差は存在した。しかし、前者が「知っていること」を後者に伝えることによって人類は成長してきた。現在は、デジタル化の知識は得たものの、礼儀作法といった常識を失って、そういう成長が止まってしまったと思わざるを得ない。私は学会活動として、語学ラボラトリー学会(LLA)および、それが改称した外国語教育メディア学会(LET)などに長年関係してきたから、デジタル化のすべてに反対しているわけではない。要は、人間の創り出したもの故に、そのことに対する人間的な姿勢が大事なのだと考えている。
(浅 野 博)

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