言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「はいけい」(廃鶏)

Posted on 2007年11月7日

 多くの高校生は「背景」と書く。意味は「待ち受け画面」と答える。うん、正解かな?「拝啓」は書けても、意味は知らない。「廃鶏」なんて業界の専門用語だ。それでもニューズでは使われるのは変な事件が多すぎるのだ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:「姓名」のこと

Posted on 2007年11月6日

 10月16日号で、「名前教育」の必要性を提案する記事に関連して、英語学習の初歩的段階では、単純な名前の使用でよいではないか、という見解を述べた。この記事の著者(大高博美・杉浦香織の両氏)も、そういうことには理解を示しているが、大学生になっても名前の知識に欠けている現状を改善すべきだとも言っている。それももっともだと思う。
 2年前の「英語教育」(2005年11月号)は、「英語の名前の謎」を特集した。そこには英米人の名前に関する多種多様な情報があって、一読したときは、英米人の名前について学ぶだけでも大変なことだと感じた。姓名の表記では、文化庁が「ローマ字表記でも姓+名が望ましい」としたために、英語の教科書は、あまり議論もなく、ほとんどそれに従うようになった。しかし、大リーグの日本人選手は「名+姓」で呼ばれているし、松坂大輔投手などは、“Dice- K” と表記される。これでは音は伝えられても、「さいころケーちゃん」だ。しかし、違う言語では違う表し方をするのはやむを得ないことでもある。
 最近出版された大谷泰照『日本人にとって英語とは何か—異文化理解のあり方を問う』(大修館書店、2007)には次のように述べている箇所がある。

 日本語を書く場合ならともかく、英語を書く場合でさえも、日本人であるという理由だけで、なお日本語式「姓+名」で押し通そうとする姿勢は、日本旅行を英語で押し通す英米人や、韓国旅行を日本語で押し通す日本人にどこか似ていることに気づかねばならないであろう。(p.179)

 この見解には私も同感で、姓名を逆にしたらアイデンティティーが失われるとも思わないが、名前の問題以前に、“脱日本人”を目指している英語学習者が多いのは確かだ。上記「英語の名前の謎」の執筆者の一人、榎木園鉄也氏の「人間は誰しも出自の言語文化に誇りと愛着を持つが、社会の主流の姓に同化せざるを得ない人たちがいた歴史も忘れてはいけない」と述べていることは心に留めおきたい。
(浅 野 博)

浅野:英語教育批評:「停車中の列車は…」

Posted on 2007年10月30日

 高校の先生をしていた方から、「駅のアナウンスが 『8番線に停車中の列車は…』を
“The train stopping at Track 8 is ....” と言っていたが正しいか」という質問を戴いた。これは「止まろうとしている」であって、「止まっている」ではないというわけだ。その通りで、 standing や waitingを使うのが正しい。この英語の語法についてはすでに『続・英語語法大事典』(大修館書店、1976)に詳しい解説がある。
 ふつう英語の現在進行形は「〜している」と訳すので、
A car is stopping. を「車が止まっている」と訳してしまう。日本語では「動詞+ている」で、進行形に当たる表現を作るが、「止まる」「落ちる」「死ぬ」などは、「瞬間動詞」と言われるもので、「〜ている」をつけると「その動作が完了した状態」を表す。「そのイヌは死んでいる」は、The dog is dying.(死にかけている)ではなくて、The dog is dead. の意味になる。
 「落ちる」と同意語のような「降る」は、「雨が降っている」のように使える。つまり「降る」は「継続動詞」で「瞬間動詞」ではないのだ。ただし、この2種の動詞の区別はそれほど厳密ではない。木の葉が散っているところを見ながら、「木の葉が落ちている」と言うのは「正しい」とする人もいる。「落ちつつある」は日常表現としてはなじみにくい。表現はこのように「ゆれ」を伴うものだ。こういうことは、英語学習者の母語(日本語)をよく知っている教師でないと教えられない。日本人英語教師の存在意義の1つだ。
 ところで、問題はもう1つある。駅のアナウンスを吹き込んでいるのは英語のネイティブ・スピーカーだ。テレビの CMでも、時に「英語的でない」言い方が問題になる。本来の英語を曲げてでも、「日本式英語」の使用を主張する企業と不自然な英語の録音でも引き受けるネイティブ・スピーカーのことをどう考えるべきであろうか?
(浅 野 博)

浅野式辞典:「どうしゅうせい」(道州制)

Posted on 2007年10月26日

「どうしゅうせい」を漢字にして、意味を書けという問題の珍解答:
1位:「同州制」アメリカのどこかの州といっしょになること。
2位:「道修正」造ってしまった道路のやり直しをすること。
3位:「同週生」同じ週に生まれた友だち。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:「ネイティブ・スピーカー信仰」(その2)

Posted on 2007年10月23日

 8 月28日のブログで、(その1)を書いたが、これはその続き。「東書Eネット」10月号で、北野マグダ先生が第3回目のエッセーを発表された。そこでは、「父は、ドイツに一度も行ったことがなく、大学で勉強しただけでドイツ語を教えるようになりました」ということで、「アメリカの学校では、上手に話せる人よりも上手に教えられる教師が求められているのです」と述べておられる。
 これは、外国語教育の目標に関係する基本的な問題を提起していると思う。日本人には、「英語を話せるようになりたい」という願望が強い。それがネイティブ・スピーカー信仰 (native-speaker fallacy) に繋がる。しかも、この場合のネイティブ・スピーカーは英米の白人であるのが普通である。(’fallacy’ は「間違った信念」ということで、「信仰」は、悪い意味の用語ではないが、意味範囲が広くなってきている。)
 山田雄一郎『言語政策としての英語教育』(渓水社、2003)は、その第2章でALTの問題を本格的に論じている。ALT は JETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)によって主に中・高に派遣されている語学助手である。この章の第1節は、「ネイティブ・スピーカー幻想」と題してある。つまり、「ネイティブ・スピーカーから教われば、英語が話せるようになる」といった願望は非現実的な夢に過ぎないのではないかというわけだ。その証拠に、経験も資格もない英語教師を世界中に派遣しているイギリス政府の方針に、「新植民地主義だ」と国内から批判が起こっていることを冒頭に紹介している。
 在日ブリティッシュ・カウンシルから外国人教師を勤務先の大学に何回か紹介してもらった経験のある私としては、中東や東南アジアで英語指導の経験をつみ、よく勉強もしている立派な人物がいたことも指摘しておきたい。「幻想」に惑わされてしまう日本人の側の問題も大きいのである。
(浅 野 博)