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浅野:英語教育批評:“コミュニケーション”再考

Posted on 2009年11月10日

(1)「コミュニケーション」は英和辞典では「(情報などの)伝達、意思の疎通」といった訳語を与えている。年配者には「伝達」というと軍隊の「命令の伝達」を連想させるので、あまり好ましい用語ではない。私は「相互伝達」くらいにしてはどうかと考えてきた。他のカタカナ語と同じように、“コミュニケーション”も好んで使われるが、明確な定義を意識している日本人は少ないと思われる。
(2)麻生前総理は、ある大臣から辞表が提出されたら、「受理するつもりはない」と記者会見で述べていた。辞表が出されたら、まず本人を呼んで真意を確かめるべきだと思うが、大臣というのはお互いに会うことさえ難しいらしい。民主党政権になってもそういう事情はあまり変わらないようだ。大臣のばらばら発言が目立つようになった。しかし、政治の世界は裏があるから迂闊なことは言えない。
(3)英語教育の場合は、日本人が異言語である英語でコミュニケーションをしようというのだから、相当の困難を覚悟しなければならないはずだ。ところが、教員の中には「英語で会話をすること」くらいに気軽に考えている者がいるようだ。したがって、生徒も認識が甘くなる。大学で英語専攻を希望する受験生に、「なぜ英語を専攻したいのか」と尋ねてみると、「英語を話せれば、世界中の人たちと理解し合えるようになるから」といった答が返ってくることが多い。英語以外の言語の存在など眼中にないのである。
(4)効果的なコミュニケーションを教えようとするならば、言葉とはどういうものかをまず教えておかなければならない。「どうせ日本はアメリカの属国だ」と言った元政治家がいたが、それで一方では、国歌や国旗を敬うことを強要するような矛盾を平気で犯してきた。日本語でコミュニケーションが出来ない政治家が外交交渉などうまく出来るはずがないのだ。
(5)斉藤美津子『話ことばの科学』(サイマル出版会)は、1971年の初版だが、名文家として知られた故笠新太郎氏が激賞した名著である。第1章は「コミュニケーションとは何か」となっていて、コミュニケーションの定義きちんと論じてある。英語教員は、新しいものばかり追う前に、こういう書物で温故知新を実践する必要があるのではないかと思う。(浅 野 博)

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  1. 『話しことばの科学』を古書店で求め、今読んでいます。受け売りではなく、自分の頭で咀嚼ができたら、こちらでもコメントをしたいと思います。その際には、拙ブログでも何かまとめをしておきたく思います。良い本をご紹介頂きありがとうございました。


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