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浅野:英語教育批評:英語教育の「もしも」について

Posted on 2009年12月17日

(1)「英語教育」(大修館書店)2010年1月号は「英語教育の『もしも』」を特集している。
私が最も同感したのは、江利川春雄「もしも教科書検定制度がなくなったら」であり、そうなったら、「官僚主義からの脱却」→「教科書が変わる」→「学校が変わる」とかなり楽観的な「夢」が語られている。ところが、最後に「と、ここで目が覚めた」「でもいい初夢だった」となっている。「現実はそんなに甘くないぞ」という執筆者の意図がよく伝わってきた。
(2)最も面白く読めたのは、田崎清忠「もしも『大親分』に会えたら」である。「大親分」を幕末から明治にかけて実在した「清水の次郎長」に設定して、執筆者との交流の話が進む。その中に英語教育、外交、文化交流などの問題が巧みに織り込まれている。英語の達人ならではの面白い文章だと思った。
(3)その他の記事もそれぞれに力作だと思うが、「もしも私が書くならば、2,3行で答えよう」と横着なことを考えたのである。
① 秦野進一「もしも大学入試に英語がなかったら」
*かの『英語教育大論争』の平泉渉氏が小躍りして喜び、渡部昇一氏が烈火のごとく怒るであろう。
② 泉恵美子「もしも高校卒業時の英語統一テストを作るとしたら」
*「漢字検定のように大儲けができるぞ」と業者たちが文科省相手に秘策を練ることになる。
③ 向後秀明「もしも全授業がALTとのTTになったら」
*「お任せしますよ」とティームティーチングなどサボる日本人教師が急増するであろう。
④ 蒔田守「もしも英語授業での日本語が禁止されたら」
*ハマコーさんが言っていた「日本はアメリカの属国だ」が現実のものになる。
⑤ 馬場千秋「もしも学生全員に英語論文を書かせなければならなくなったら」
*文科省が大学教員の再教育を実施しだして、多くの教員が辞職に追い込まれるであろう。
⑥ 岡田伸夫「もしも文法用語を一切使ってはいけないことになったら」
*中学生は大喜びし、高校生は複雑な心境になり、多くの塾や予備校の講師は失職する。
⑦ 田尻悟郎「もしも私が文部科学大臣だったら」
*文科省が、防衛省や国土交通省よりも予算のはるかに多い省にする。しかし、学校時代にいじめられて文科省に恨みを持つ犯人に翌年暗殺される。
⑧ 佐々木みゆき「もしも中学生の自分に会えたなら」
*「あの先生には英語を教わるなよ」と言ってやりたい。
佐野正之「もしも自分で自由に教科書を作れるなら」
*何をどうしたらよいか分からずに、途方にくれて、病気になるだろう。
⑨ 戸張東夫「もしも自分の学校がイマ―ジョン教育になったら」
*生徒に「アメリカの学校へ留学したほうがいいよ」と言って、自分は辞職する。
(注)「そんなに茶化しては執筆者に失礼ではないか」と思われる方は、ぜひこの号の特集をお読みください。(浅 野 博)

Comments (1) Trackbacks (0)
  1. 先生の「もしも」、風刺が効いていて、「その通り!」と膝を何度もたたいてしまいました!


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