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浅野:英語教育批評:「英語教育とアルファベット」(その1)

Posted on 2010年1月5日

(1)問題点を簡潔にするために、ここでは小学校の英語教育は考えないことにしたい。中学校で初めて英語を教えるとすると、アルファベットをどう教えるかは大切な問題であろう。普通は、「ABCの歌」などで指導するが、ただ歌って終わりということが多いのではなかろうか。
C は「シー」ですませている指導を見たことがある。
(2)そこで、小学校1年生の国語の教科書では「アイウエオ」をどう扱っているのだろうかと、『あたらしい こくご(上)』(東京書籍)を覗いてみた。まず驚いたのは、まるでグラビア・ページそのもののような色彩である。子どもから大人までが好んで読むマンガ雑誌だってこんなに贅沢に色は使っていないはずだ。いかにカラーテレビの影響が大きい時代とはいえ、これでは子どもの美意識や学習意欲にも良い影響があるとは思えない。
義務教育段階の教科書は無償だが、その予算は文科省が出すわけだから潤沢なものではない。各教科書出版社がこんなこことで競争をするのは無謀ではないか。財政と教育効果の両面からよく再考してもらいたいと思う。
(3)本題に戻るが、この教科書では絵を使った導入的な部分の次の課は「あいうえお のうた」という課で、次のようなっている。(pp. 14-15)

ありのこ あちこち あいうえお
いしころ いろいろ あいうえお
うしさん うとうと あいうえお
えきの えんとつ あいうえお
おひさま おてんき あいうえお

(4)私はこの教科書の指導書を見ていないので、編集者の意図がよく分からないことを前提として感想を述べてみたい。小学1年生と言えば、かなり日本語を話せるわけだから、音声と文字の関係を教えるのが主目標になるであろうが、文の仕組みを意識させていくことも大切であろう。上の文章では、主語と述語の関係も一貫性がないし、「あいうえお」をつけている意味も分かりにくいと思う。
(5)「アイウエオ」は「五十音図」と言われるように日本語の基本的な「音」を文字で表したものだ。したがって、「アイウエオ」と言わせるだけだとしたら、英語教育で “A B C” と繰り返すだけでは意味がないのと同じだ。後の課では、「いしや」と「いしゃ」、「びよういん」と「びょういん」のような拗音の区別や、「わたしはゆみです」の「は」は、実際の音は「わ」になることを教えるようになっているが、「しょっき(食器)」のような「促音」の扱いは十分ではないように思える。これは後にローマ字表記を学ぶときに必要な音である。(この項続く)(浅 野 博)

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  1. (3)~(4)についてのみ感想を述べておきます。

    これは日本語のリズムに慣れさせ、表現力をつけることが目標ではないでしょうか。私も指導書や学習指導要領は見ていませんが、小1の娘がおりますし、この年頃の子供たちはこういうものを暗唱するのが大好きです。

    主語と述語の関係はもう少し学年が進んでからでよいのではないでしょうか。むしろ表現力を増やすために、こういった練習も小1では必要ではないかと考えられます。

    「ありのこ あちこち」「いしころ いろいろ」だけでは覚える意味を見出しにくいように思いますが、同じ「あいうえお」を末尾につけてリズムを整えて読ませることで記憶にも残りやすいのでは、と考えます。

  2. 私のブログに関してコメントをお寄せくださり有難うございます。ただし、この問題は次回も論じますので、それが終わってから正式にお答えしようと思います。ご了解ください。

  3. kmykenさんへ
    (1)現在は小学校1年生が落ち着きがなく授業ができないといった問題があります。また、このホームページでも報じられているように、多くの教員が病気になっています。しかし、そういう問題がなく、まともな授業が可能な場合を考えてみても、「意味もない語句を繰り返し言わせたり暗記させる」余裕などないのが実状ではないでしょうか。
    (2)以前は幼稚園の年長組の子どもあたりから、卑猥なことばを繰り返して、親が叱ると逃げながらな言い続けることがありました。これは自我の目覚めと見ることができます。現在ではその年代がずっと早くなって、満2歳くらいから始まるようです。母語習得の過程に見られる大人には意味のない語句の繰り返しは、小学校入学時までに修了していると考えたいのです。
    (3)小学校の1年では、文字を読むことと書くことにもっと集中すべきです。私がブログの(その2)で書きましたように、暗唱させるなら、もっと統語的に意味がある文にすべきです。ちなみに、「ありのこ あちこち あいうえお」では、「ありのこ」はあいまいです。東北地方の歌に「ふなっこだの、どじょっこなどが」というのがありますが、この「こ」は「子ども」ではなく、英語でいう “diminutive” (愛称)でしょう。「ありのこ」の「「の」は同格の of にあたるもので、「ありという小さな虫」のことでしょう。念のために言いますが、こういう用語を使って説明せよ、ということではなく、教師は生徒が既知であることを確かめながら慎重に指導をする必要があるので、無意味な語句の暗唱などさせている余裕はないのです。後で、生徒が教科書を音読して、気に入った文章を暗唱するなら効果はあると思います。 以 上

  4. 小学校1年生が落ち着きがなく授業ができないといった問題がある、というのは事実ですか。日本全国でそうなのですか。日本国内の小学校1年生の何パーセントが落ち着きがないのですか。

    病気になる多くの教員とは全教員数の何パーセントですか。

    「まともな授業」とは何を指すのですか。

    全く議論になりません。思い込みの激しい、また前提を欠いた、無意味な提案は止めていただきたい。

    • 私はただ漠然とした印象で批評を書いているのではありません。「小学1年生の問
      題」は、例えば、昨年 11月 16日のブログページに東京都教委の調査結果が、パーセ
      ンテージつきで紹介されています。教育関係者が、すべて自分で統計を取り、数値を
      出さなければ教育問題を論じられないなどということであれば、授業をするいとまさ
      えなくなります。私はそういう数値主義は取りません。ご了解ください。(浅野)


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