言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:「英語教育とアルファベット」(その2)

Posted on 2010年1月12日

(1)東京書籍(株)は、昨年創立百周年を迎えて、記念事業の1つとして、明治43年(1910) 2月に同社が最初に発行した『尋常小学読本 巻1』の復刻版を出した。古色蒼然とした表紙や本文の感じがよく出ている。本文は「ハタ」「タコ コマ」のように単語から始まっていて、それぞれに挿絵があるが、色刷りではない。しかし、中表紙には文部省の許可証が朱色で印刷されている。
(2)明治43年は教育制度施行の明治5年から 30年近く経っていて、ある説によると教育制度の変遷は43年からは第2期になるようだ。それまでの大きな課題は「国語の標準化」だったらしい。全国一斉に国定教科書を使うとなると、どういう「国語」を使うのかが大きな問題になるのは当然であろう。そのことで昭和の時代まで活躍した上田万年の話も興味深いが、ここでは触れないことにする。
(3)明治43年の教科書では、統語的な配慮が細かくできていて、「シカ ノ ツノ」のように、先ず「ノ」を教え(p. 9)、次に「サル ト カニ」(p. 10)、「タケ ニ スズメ」(p. 14)「クロイ ネコ」(p. 17) と発展していく。主語述語の関係は「ホン ガ アリマス」(p. 19)、「トンボ ガ トンンデ ヰマス」(p. 20) が初出で、命令文、過去の文へと続く。それに合わせて、謙譲語や尊敬語も扱っている。
(4)各ページには、初出の文字がページの上欄に示してあり、50ページほどで「五十音図」を網羅している。「教材」というのは、少し経験のある教師ならば、その教材に目を通しただけで、教え方の見当がつくものであるべきなのだ。時代が違うので、単純には比較はできないが、『あたらしい こくご 1年』にはそういう工夫が足りないように感じるのである。
(5)明治の教科書も、「国語の標準化」を目指しながら、「スズメ」と「ミヅ(水)」のように、「ズ」と「ヅ」の区別をしている。この区別は当時でもある区域に限られていたのではないか。英語ではこの区別は大事で、”G” も“Z” も「ジー」では困るのである。
(6)近年のように、英語起源のカタカナ語を多用するなら、例えば、[ l ] と [ r ] とか [ b ] と [ v ] とかはカナ表記でも区別したい(カナ表記にもいくつかの方法があるが)。そうしないと映画の題名「ロードオブザリング」など見当がつかない。最近の “Avatar” などは「あばた」になってしまう。
(7)音声学的な配慮というと、すぐ専門用語の解説になってしまうのも英語教育の悪いところだ。「ん」と [ n ] などは、中学1年から英語と日本語の実例とともに、違いを実感させていくような指導が望ましい。そのためにも小学校国語での音と文字の教育は重要なのだと言いたい。(浅 野 博)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.