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4.湯川のノーベル賞論文の英語(湯川秀樹の英語力-その1)

Posted on 2010年1月27日

湯川のノーベル賞論文の英語について,科学史の専門家は次のように言っている。「でき上がった論文は,文章がぎこちなく,語法もいささか変格で,湯川が英語に充分習熟していなかったことをうかがわせる。」クリース&マン『素粒子物理学をつくった人びと』(1986)より。

ここに書かれている通りかも知れない。1文,1文はぎこちない英文であるが,いっぽう,論文全体としては論旨が取りやすく,readable な,わかりやすいものであったようだ。

上記の本は日本語訳の表題とは違って,20世紀の物理学者を広範囲に扱っていて,約320名の物理学者が登場する。その中での湯川を扱ったスペースは,およそ28番目に長い。これはおそらく第1論文が相当広く読まれ,きちんと理解され,高い評価を得た証拠でもあろう。

この中間子第1論文は,
1934年10月18日に日本語の話し言葉で書き始める。タイトルは英語であった。中の文も
英単語まじり。
11月1日に英語で書き始める。その手書き原稿を何回も読み直して,直している。この原
稿はそのまま今も残っている。
11月17日 日本語で発表する。タイトルだけは英語のまま。
11月30日 英文原稿できあがり,タイプで打ち始める。
12月8日 英文原稿できあがり,学会へ送る。
1935年2月5日 発行される。ちょうど10ページ分。

手書き原稿はペン書きで,インフォーマルな,軽い書き方である。だいたいでき上がると,ペン書きで英訳していった。それを辞書を引いたりして,動詞を変えてみたり,誤植,つづり,冠詞を直したりしている。直しはそれほど多くない。手書き論文を眺めて推察するに,下書きを書いて,それを直して,清書したのではなく,最初から書いたものである。ネイテイブの評価は上の通りだが,英作文は長いものでもある程度書ける,語法はともかく,結果はそれほど読みにくいものでないと思われた。(以上の原稿はすべて残っていて,インターネット上で読むことができる。)

論文のタイトルは「素粒子の相互作用について」(On the Interaction of Elementary Particles. I)第1章「はじめに」(Introduction)の冒頭は上に示した通りで,率直に始まっている。まずは第1の先行文献であるハイゼルベルクの考えを要約し,その矛盾点を示し,さらにフェルミのベータ崩壊論を紹介し,その説明はそのままでは役に立たないことを示した。
第2章「相互作用を記述する場」(Field describing the interaction)で,この両者の理論の修正として,陽子から中性子への転化に寄与する別の粒子(中間子)の存在を考えることによって矛盾は取り除かれ,相互作用は核力の場によってうまく説明できるとした。

第3章「場に伴う量子の性質」(Nature of the quanta accompanying the field)では,核力の場とそれに伴う中間子の性質について概略的な議論をし,第4章「ベータ崩壊の理論」(Theory of β-disintegration)でベータ崩壊の理論について概略し,第5章「結論と要約」(Summary)。詳しくは次の論文で,としている。

10ページのこの論文は,簡潔で明瞭,内容的にはわかりやすく,たいへんに多くの引用回数に耐えることができたと思われる。詳しくは次の論文でとした点もたいへんによかったと思われる。

湯川は自分でも総論的な人間だと言っているが,高いところから全体を見渡す,書く力の配分,バランスを瞬時につかむことができ,思考そのものが英語に合っているのではと思う。エッセーを読んでいても,その強固な骨格に,そのまま英語になるな,としばしば思った。

このような話がある。小松左京は若いころ雑誌記者をしていた。だめでもともとと初めて湯川を研究室に訪ねたそうである。原子力問題について少し話していたら,湯川が突然「よし」と言って,口述の合図をした。「開拓者の道」とタイトルを言い,1句,1句言葉を選び述べられた。促されて読み上げると,それでよいと言う。口述で,まったく直すところがないほど,最初に全体が見えてしまうのである。
(村田 年)

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