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中休み ― 蛇足

Posted on 2010年1月28日

湯川秀樹は天才だ。どの文章を読んでも単にできのいい秀才ではないとわかる。ニュートン以来の古典物理学の道を大きく変えた,世界の天才,ハイゼンベルクやフェルミに対して,27歳で,まったく対等に四つに組んでいる。

湯川と対談した人は,谷川徹三,吉川幸次郎,司馬遼太郎にしても,桑原武夫,梅原猛,梅棹忠夫にしても,もう一度対談したいと言っている。それだけ湯川から得るものが多かったのであろう。

天才の型としては,湯川は分裂型の天才で,いわゆる天才だ。対して朝永振一郎は躁鬱型(一部分裂型を含んだ)の天才(能才)だ。庶民派で,やさしく物理を噛み砕いて,わからせてくれ,ひとりひとりに絶えす心を配ってくれ,優れた先生だが,一見しては天才には見えない。

分裂型は非社交的で内気で,控え目で,気まじめで,ユーモアを解さない者が多い。偏執性が強い。自分は,頑固で,偏狭さ,我執を備えていたと湯川は述べている。また,創造には強度の「執念深さ」がなければならないと説いている。

宮城音弥によれば,天才研究者は精密な理論家,体系的学者,形而上学者であるという。まさに湯川はぴったり当てはまる。先輩,先生について,その指示で研究を進めるといったことは湯川にはできなかったろう。同期生でもいっしょに研究するのは無理だろう。

湯川に分裂症が強く出なかったのは運がよかったと言える。彼は朝永とは同じ部屋で3,4年机を並べていたが,いっしょに論文を読んだことも,文献を交換したこともわからないところを相談し合ったこともほとんどなかったという。朝永が隣にいるのを忘れて立ち上がり,ぶつぶつ言いながら歩き回ることもあった。朝永が東京へ去ってからは生涯よく手紙を交換している。

湯川は,最初の論文を完成するまでは孤独で,朝から晩までただただ原子核の「核力」の問題ばかり考えている。結婚し,子どもが生まれたが,眠れなくなり,家の中あちこちに寝場所を移すが眠れない。赤ちゃんなど一度も抱いたことがなかった。「はれやか」という安定剤を常用していた。精神的な爆発寸前に論文が完成したと言ってよいであろう。

その後は教え子たちが,高い理想を掲げる湯川の周りに,集まってきて,いつも議論をしながら仕事を進めることができた。常に彼がアイディアの中心で,自分が関心のない問題を議論する必要はないし,「その点をもう少し進めてみようか」と言っただけで弟子たちは計算してしまうので,仕事はどんどん進んだ。

湯川には親しく話す同輩も,年齢の近い,親しい先輩も,よく相談できる先生もいなかった。ちょっと家に話しに来ませんかと誘える相手はいなかった。幸い,教え子たちがいつも研究室に群れて,自宅にも相談に来るし,優秀でどんどん仕事をしてくれる。それが彼が精神的にくずれずに済んだわけの1つと思われる。

湯川は貴族的で盛装して歌舞伎を見に行く。高い理想を掲げ,自意識過剰で,自分を見せない。自己を表現するのに困難を感じるとじっと黙ってしまう。「徹底的に」が大好きで,基底には強い厭世感がある。彼がくずれなかったのは,もうひとつ,最初の論文が的中し,その後も彼が考えていた以上に素粒子の解明が複雑で,常に物理学の中心課題であり続け,自身が世界の研究の中心であり続けることができたからであろう。この度ノーベル賞を取った南部,小林,益川は湯川理論の延長線上にあり,湯川のお弟子さんと言ってもいいであろう。

湯川は外面的には成功者で,なんらマイナス面のない一生であった。が,ごく少数の人を除いて,ただ敬して遠ざけるだけ,あるいはここにすがっていい就職口を,といった人々に囲まれて,はたして幸福であったか,悲劇の人であったか,それはわからない。
(村田 年)

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