言語情報ブログ 語学教育を考える

11.湯川の言語観,外国語学習観(湯川秀樹の英語力-その2)

Posted on 2010年2月4日

湯川は外国語学習についてはほとんど書いていない。やっと見つけたある対談(1973)で,渡辺慧氏(理論物理学者)と外国語を知る意味のひとつについて語っている。そのままここに書きだしてみよう。英語教育の目的として学び取るべきことがあるであろう。

*1つの外国語を学ぶと第2の外国語はやさしくなる。
*私など語学は得意じゃないけれども,たとえば日本語と英語,あるいはドイツ語,それからフランス語のある種の表現,そういうものがものを考えるときにある程度入っているわけです。
*そのほかに私は子どものときに漢学というものをずいぶん習いましたから,そういう発想がほかの人よりたくさん入っていると思う。日本人だから生まれつきの日本語だけで 考えているとは限らないな。
*ちがった言語による発想がどの程度入っているか,人によってちがいますけれど,ある程度入っていないと,思想が普遍性をもたないんじゃないですか。どの特定の外国語ということは別にしましてね。
*何語でも表現できるようなものを考えるということになると,だれにでもわかるように明確に話をするようになる・・・。
*(ことばは生得的なものだというのは)チョムスキーを待つまでもなく,私もそうだと思っているんです。それがまた恐るべくフレキシブルで,日本におれば日本語,アメリカにおれば英語でしょう。・・・そういう意味で(チョムスキーも)カンティアンということ ですか。(カンティアン=カント主義の亜流。経験主義のあとをうけてアメリカで流行ってきた,ある意味でのカント哲学の観念論の信奉者。)
(村田 年)

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