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浅野:英語教育批評:「英語教員養成」を考える―「英語教育」2月号の特集をめぐって―(その2)

Posted on 2010年1月29日

(1)前回は、松沢伸二氏の記事に関連して、教員になるためには、多くの科目を履修しなければならないことを述べた。松沢氏は平成18年の中教審の答申に触れて、次のように述べている。

「(前略)しかし、筆者の経験では、一定以上の適性を持つ学生であれば、教員に最小限必要な資質能力は4年制で育成できる。さらに必要な知識技術は教員が現職研修と大学院で習得するのが実践的でよい。」

 こういう主張と共に、新政権が上記のような条件を実践できるように教育環境の改善を実行することを要望している。

(2)私は、松沢氏のこの見解に反対するつもりはない。ただし、もう1つ考えるべきことがあるのではないかと思う。それは、第2次大戦後のアメリカ占領軍は、戦前の師範学校による閉鎖的な教員養成制度を廃止することをねらったということである。つまり、一定の単位を取得すれば、専攻科目の如何に関わらず教員免許を与えるという制度にしたわけである。「6年制」にすればそれ困難なことになるし、「4年制」であっても、現行の科目数では取得はかなり難しいであろう。取得しやすくすれば教員としての知識や技術が低くなるという矛盾を孕んだこの問題の解決にはもっと私たちが知恵を出し合う必要があると思う。

(3)もう1つの大きな問題は、学校の多様化と教員養成の関係である。昔は、教員になって小学校や中学・高校に戻っても、以前の自分の経験が役立つということがあった。しかし、現在は「小・中一貫校」とか、「中等教育学校」とか、または「小学校の英語活動」とかがあって、中学の教員になったつもりでいると高校の課程を教えることになったり、英語の専攻ではないのに、英語を教えることになったりする。こういうことが、特に新人教員にはかなり負担になるのではないかと思われる。

(4)中山・大崎・神保「長期的視野に立つキャリア形成―英米の教員研修制度に学ぶ―」は次のように書いている。

「イングランドの事例を概観すると、キャリアに応じた5つのスタンダードの設定が教員の長期的なキャリア形成において大きな役割を果たしていることがわかる。

一方、日本では、教職課程における単位認定は大学の裁量に任せられており、全国的に統一されたスタンダードはない」(p. 25)

(5)つまり、教職科目の認定基準もばらばら、配属される学校の実情も様々、といった状況では、新人教員ならずとも戸惑うことが多いであろうことは、容易に想像できる。教員養成の道も、「日暮れて道遠し」ということではないのか。
(浅 野 博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】

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