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論文を書く,できれば英語で書く―湯川秀樹に学ぶ(1)

Posted on 2010年2月11日

*湯川は,早く発表する,早く論文にすることに努めた。ひとにまた先を越されないように,世界のひのき舞台に早く出て,理論物理学の第1線に貢献したいと願った。

*それゆえ,最初の論文の「中間子」らしきものが発見されるとどんどん手紙を書き,抜き刷りを送り,外国は好きでない,人と会うのは好きでなく,結局西洋人は自己主張が強く,こちらの言うことなど聞かないから,とぼやきながらもヨーロッパ,アメリカまで出かけ,多くの研究者に会い,抜き刷りを渡し,うまく言えなかったところは,その晩のうちに手紙で知らせ,無理をしてまで講演をした。世界の第1線に出ることに湯川は極めて積極的であった。(このようにしなかったら,湯川が最初に「中間子」のことを言い出したことは,欧米ではすぐに忘れられてしまったでしょう。)

*対して,南部陽一郎にはそれほどの積極性が見られなかった。東大からプリンストン高等研究所,シカゴ大学とまさに国際的に活躍した研究者であったが,自分が何年も前に発表したものを新たにだれかが発表してもクレームもつけていない。素粒子研究の基盤となる発見を少なくても3つは行っているにもかかわらず,ノーベル賞はすっかり遅れてしまった。まさに日本人らしい。日本人は自己主張が弱いので,遅れがちのようである。(西洋人のように自己主張,自己宣伝が強かったら,南部は2度,いや3度ノーベル賞を取っても不思議ではないであろう。)

*ともかく,英語で書かなければ世界には認められない。そこで,湯川は早くも1946年に, Progress of Theoretical Physics という欧文のジャーナルを創刊し,理論物理の多くの論文を掲載し,日本の理論物理学を世界に広く紹介した。この意義は大きい。(朝永の論文も小林・益川論文もこのジャーナルに掲載された。)
 
*例の「小林・益川論文」(6ページで短い)は1999年の調査では物理学全体の2位で,3117回引用されていた。2008年現在で5480回引用されている。英語で書いたからこそである。

★あまり出好きでない湯川ですが,研究についてはほんとうに積極的でした。われわれの場合,英語教育にしても日本だけで通用する,ではなくて,世界でとまでは言わなくても,せめてアジアで,中国,韓国,台湾などと連携してやっていきたいものですね★
(村田 年)

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