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まとめに替えて―湯川秀樹に学ぶ(2)

Posted on 2010年2月12日

はじめに ― 日本は遠い
*欧米から見れば日本は極東,最果ての国である。1937年に中間子が見つかるが,湯川中間子とは質量が違うことがわかり,湯川はわきに追いやられ,みなが計算のやり直しを始めた。

*そのとき,湯川グループは次の論文を発表し,実は湯川中間子(π・パイ)は脱皮してミュー中間子(μ)に変わるとする坂田仮説を発表した。その後も次々と論文を出して,欧米の研究者の先を行くことに努めた。やがて1947年になり,上記の両方の中間子が観測され,湯川理論は立証された。湯川グループの結束と積極的な努力がなかったら,遠い極東のこととして忘れ去られてしまったかも知れない。

*小林・益川論文の実験証明も,世界の競争となり,結局日米のトップ争いとなった。筑波の「KEK Belle」の方が早く,精度もはるかに高かったがノーベル賞選定委員会はアメリカ・スタンフォードの「SLAC BaBar」の貢献の方を先に書いている。日本はノーベル賞のスウェーデンからは距離もそうだが,意識の上でもはるかに遠いのである。

*また,文化的な相違もある。日本人は自己宣伝をしたがらない。欧米では自己宣伝も,しかるべき推薦者に何度でも推薦を依頼することも普通であり,各学会も強力な働きかけをする。小林・益川の受賞に際しても,イタリア物理学会は,カビボ博士も同一路線の研究をしているので同時受賞でないとおかしいと抗議している。

*ノーベル賞でも何でもわれわれ日本人は不利な立場にある。日本人の努力は飛びぬけているが,自己主張がもっとあってもいいかも知れない。

★日本人において,自己主張と自己宣伝,それに互いに褒め合うことがもっと必要であろう★
(村田 年)

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