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浅野:英語教育批評:「英語教育とセンター入試問題」を考える

Posted on 2010年2月12日

(1)センター入試は、受験者も多く、全国的な規模で行われるので、マスコミの関心も高いようだ。しかし、寡聞にして知らないが、問題点についての具体的な解決策は実施されていないようで、毎年、天候のことや、リスニング・テストの実施上のトラブルだけが報じられる。少なくとも① 実施時期の問題の解決と② リスニング・テストの意義についての再検討が必要であろうと思う。
(2)実施時期については、1年間に複数回行うことが考えられるが、高校卒業資格と大学受験資格を与える「大検」との関係が生じてくる。このことは以前にも論じたことがあるが、今日では、受験生の集まる大学と定員確保に汲々としている大学とに二極化がはっきりしていて、後者は、学力テスト実施の有無に関係なく志望者を受け入れている。こういう状況において、全国的な共通テストを実施する意義はどこにあるのであろうか。
(3)テストは1つの分類方法として、「診断テスト(diagnostic test)」と「選抜テスト(screening test)」に分けることができる。(こういう専門用語については、日本言語テスト学会 (JLTA) が2006年に用語集を出している。)
「診断テスト」は、生徒の現在の学力や問題点を診断して、その改善のためにはどうすべきかの指導に役立てる資料になるものだ。一方「選抜テスト」は、ある学力以上の者を認め、それ以下の者を拒否するための資料となる。入学試験はその典型だ。
(4)「診断テスト」は、年に1回くらい実施しても意味がない。指導上は、毎時間の小テストや中間テスト、期末テストなどが貴重な資料となる。しかし、多くの場合、個別指導としては、「良くできた」とか「もっと頑張れよ」という程度に終わってしまう。診断テストが有効に使われるためには、教員に時間的なゆとりが必要なのだ。どうも現状は、その逆をいっているように思える。「ゆとり教育」の反省は、教員の「ゆとり」を奪うことになってしまった。
(5)現在のセンター試験は、ほとんど「選抜テスト」としての意味しか持たない。リスニング・テストにしても、受験問題として勉強させるのではダメなのである。受験生のほとんどは、テストが終れば忘れてしまうからである。英語力の中でも聴解力は不断の努力を要求するもので、受験の時期にだけやっても実力にはなりにくい。全国的なレベルを知りたいと言うなら、大規模予備校の模擬テストを受けたほうが詳しい資料が得られるはずだ。いずれにしても、膨大な費用と労力を必要とする「センター入試」は厳密な“仕分け”が必要な時期になっていると思う。(浅 野 博)

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