4.アジア辞書学会との交流(1997年-現在)
北米に,ヨーロッパに,アフリカに,オーストラリアにと辞書学会が創られ,1997年になると,アジア辞書学会が創設され,香港を中心に活動を始めていた。そこで,ワークショップや講演会のプログラムをすべて英訳し,その都度アジア辞書学会の本部に送ってきた。向こうからもニューズレターを初め細かな連絡事項を知らせてもらった。
国際応用言語学会大会(1999年)には,アジア辞書学会を通じて,香港からAmy CHI氏,韓国からYoung-Gyum HAN氏を,日本からは宮井捷二氏をお誘いしてシンポジウムを開き,西村公正氏を責任者としてポスター発表(Problems of Dictionary Users and Teachers’Role)を行った。いずれも好評であった。
アジア辞書学会は,その後第1回総会を対岸の中国本土広東省の広東外語外貿大学で開き,次いで韓国のヨンセイ大学のサンスップ・リー教授に引き継がれた。
私は小まめに連絡を取っていたこともあって,韓国の第2回大会で講演の招待を受けた。これは危ないな,と思い,事務局の投野由紀夫氏,山田茂氏と相談し,求められたら,第3回大会を東京で受ける決心をして出かけた。
ヨンセイ大学は,韓国の慶応大学との裏評判通り,位置も敷地の広さも建物の立派さも驚くほどで,大会では,大学や企業が相当の資金を出したらしく,至れり尽くせりの歓待を受けた。ソウルの街一周の観光旅行なども組まれていた。研究発表,講演,シンポジウムも予想通り充実し,運営もまずまずであった。
予想通り,次は東京でとの提案があり,引き受けた。やる以上韓国に負けないだけの運営をと,十分な準備をして,出版社からの寄付もほぼ予想通り集まり,2003年の夏を迎えた。
招待講演7件,シンポジウム6件,研究発表58件,ポスター発表12件で,共同発表が多く,発表者は累計144名,参加者は17カ国・地域から233名であった。活発な議論と交流があり,懇親会も盛り上がった。そのプロシーディングズは大判で499ページ,今でも辞書学の基本図書として参照されている。次回は2005年に,アン・パキア教授を会長に,シンガポールで開催することになった。
★まずはアジアで,それから世界へ★
(村田 年)