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浅野:英語教育批評:「茅ヶ崎方式英語会」で話したこと

Posted on 2010年4月28日

(1)去る4月5日(水)に東京駅から1時間半ほどの茅ヶ崎市文化会館で講演をする機会を得た。「茅ヶ崎方式英語会」については、ここで説明する余裕はないので、この名称をネットで検索し、由来、目的などを記したホームページをご覧頂きたい。私の話のセクションは、最初数十人くらいの参加者と言われていたのだが、当日は200名を超えていて驚いた。主催者によると、時事英語をやり直して、英語のニュースが聞ける、新聞が読めるようになりたいというビジネス関係者や退職者などが多かったとのこと。
(2)この茅ヶ崎方式英語会の行事は、同会の「創設30周年記念大会」で、私の講演などは全体プログラムのほんの一部で、全体のテーマは「英語の楽しみ方」だった。私も楽しく学びながら、英語力がつくのであれば、大賛成である。しかし、私が自分でつけた演題は、「英語教育ではなぜ同じことが繰り返されるのか」というもので、他のスピーカーのものとは、かなり異質なものだったと思う。その理由を述べておきたい。
(3)日本の学校の英語教育は問題が山積していて、山田雄一郎『英語教育はなぜ間違うのか』(ちくま新書、2006)が指摘するような問題点が少しでも解決されなければ、効果を上げることはできないであろうと考えたのである。もちろん、これは一般論で、「うまくいっている」例を否定するつもりはない。しかし、学校制度というものは、1つのシステムであり、システムはいくつかの構成要素が全体として共通の目的を果たすものだ。
(4)現在のように学校によって、また地域によって大きな違いがあるような状況では、教育効果は上げにくい。だからと言って、全国どこでも同じように画一的な教育がなされてよいとも思えないので、大変に難しい問題である。しかし、現状のままでは、「ゆとり教育」の愚を繰り返すことになると思う。
(5)私は自分の演題を選んだ3つの理由を次のように示した。
① 学校の英語教育と学習環境が悪化していること
② 英語教員が寡黙で、議論を好まないこと
③ 体制内改革がうまくいかないこと
 このうち、② については、現職の英語教員から反論されるであろうと思う。しかしながら、教員に限らず、日本人は概して議論が下手なのだ。それは、国会の問答を見てもわかる。私が会員になっているML でも、議論らしい議論が続いたためしがない。書評などは、「7割ほめて、3割だけけなせ」と先輩に言われたことがある。酷評すると、感情的なやり取りになってしまうからである。
(5)③ の「体制内改革」とは、英語教育に携わりながら、その改善を意図するものである。津田幸男『英語下手のすすめ』(KKベストセラーズ、2000)は1つの例である。私は著者の意図は理解できるが、学習者にしてみれば、「英語なんか下手でいいんだよ」と言うような先生に英語を習おうとは思わないであろう。こういう諸問題を解決しようとしなければ、「楽しく英語を学び、力をつけること」は不可能だと私は今でも考えている。(浅 野 博)

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