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4.「青春」の作者ウルマンの心とユダヤ教

Posted on 2010年6月17日

 ウルマンが姪や甥,孫に対して書いた手紙が残っている。それはいずれも個人宛になっているが,姪や甥たち,あるいは,孫たちの間で回し読みをしてほしいとの意図が感じられる。いずれも長い手紙で,自分の生い立ち,ユダヤ人の暮らし,ユダヤ教の教え,古代ユダヤの話などを含んでいて,軽い語り口ながら,ユダヤにおける「生の継続」を意識させるものである。

初めてアメリカに来た当時のユダヤ人コミュニティ,一族のひとりひとりの話,おばあさんからお母さんにつながる偉大な母親たちの話(ユダヤの家系図は女系であって,男子中心ではない),慈善事業,人種差別を防止する努力などをゆったりと,押しつけにならないように,しかし繰り返し説いている。妻のことも手放しで褒めているが,特に妻の母のことは「イスラエルの母」として,姪たちの目指すべきモデルを示している感じだ。

ウルマンはユダヤ教の改革派に属し,土曜日の安息日を廃し,日曜日に礼拝することを実行していた。これもユダヤ教が目立たないように,異端視されないように,差別されずに続いていくようにとの意図があったのではないかと推察される。プロテスタント,カトリックとも積極的に交流をはかっている。

ウルマンが最も気にしていたのは,ユダヤ人とユダヤ教における「生の継続」であった。迫害を受けながらも数千年続いてきた人と教えが自分の亡き後も続くように,それが常に気にかかっていたことであったろうと推察される。アメリカ南部を代表するユダヤ人として,遠くポーランドの「ユダヤ人誌」にも彼は紹介されている。「永遠の警戒は自由の代価であることを想起すべきである」と彼は書いている。

ウルマンに「太陽」「情熱年齢(情熱が年齢を超える)」「強者の論理」がなかったとは言えない。楽観主義的でもあった。この楽観主義はユダヤ教の精神でもあった。しかし,それは,故郷を追われ,結婚を許されず,職業を制限され,住まいをゲットーに限られた辛い生活に耐えたユダヤの知恵であって,楽観主義を基盤にしなければ,正気を失う危険すらあったであろう。

彼の胸に常にあったのは「ユダヤ人,ユダヤ教徒とは何か」であった。イスラエルの法律では「ユダヤ人とはユダヤ人の母親から生まれた者またはユダヤ教に改心し他の宗教の一員でない者」と規定されている。ユダヤ人社会を守り,継続させていくこと,これが彼の最大の課題であったろうと推察される。(自分は日本人かどうかといった問題に悩まずに済むわれわれはお気楽で,おめでたいわけである。)
(村田 年)

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