5.「青春」のウルマンのほかの詩における諦観
ウルマンは,若い人たちに「うかうかしていると年は若いが,精神はしぼんだ年寄りになってしまう」と警告しているが,彼が最も気にかけていたのは「ユダヤ人における生の継続」であった。自分は為すべきことを為した。この「生の継続」が永久に続いていくように。あとはただ静かに死を見つめるだけ。
ひとつの詩は次のように始まる。多くのものを求めていない。
「私はいばらのない道を求めない
悲しみが消えよとも求めない
日のあたる毎日も求めない
夏の海も求めない」 (作山宗久訳)
I would not ask for a thornless life,
From every sorrow free,
Or for a constant sunshine,
Or for a summer’s sea.
なんの気負いもない。与えられた道を歩くのみ。もうおれが,おれが,といった態度はない。
もうひとつの詩は,与えられた職責を果たし,死を待つのみの心境。
「わがまわり すべて死を教える 森から樹々の葉が落ち
あらゆる花が死し 日は短く 時間のなかの日のあたるときは更に短く
寒風吹きすさぶ不毛の野づらを荒々しい風がきしむ」 (同 上)
All things around us teach of death; the leaves
Drop from the forest; so die all the flowers,
So shortens day, its sunlight hours on hours:
And o’er bleak naked fields the wild wind grieves―
ウルマンは死を見つめていた。しっかりと若い人たちに受け渡したあとは,死という目標を静かに待っていた。そこには「まだまだ隠居する年ではない」「年をとってますます情熱を」「心に太陽を持て」といった日本のビジネスマンの境地はない。
彼は55歳で市の参事会員となり,その翌年最愛の妻を亡くし, 以後新たな役職にはついていない。
78歳のとき書いたと推定される「青春」は,以上のような背景から見て,年配者への激励でも,中高年の能力への「まだまだ。。。」といった支援でも,強者の論理でもないであろう。「生の継続」であり,若い人たちへしっかり受渡して,彼自身は人生を諦観のうちに終わろうとしていたのであろうと推察される。
(村田 年)