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4.その下敷きとしての教育(1)

Posted on 2010年11月5日

コロンビア大学のサイトへ行って,有名教授の公開講座を視聴したら,その教授の経歴に,ティーチャーズ・カレッジの1年間のコースを取ったとある。すると,世界的な学者も,いい講義をするために「教え方」の1年間の講習に出たわけで,驚いたが,調べてみると,このようなことは普通のことで,人文科学,社会科学であろうと,自然科学であろうと,専門研究を深めると同時に「教え方」にも同様の努力を大学教師はするものらしい。(日本はこの点では50年遅れているとある先生が言われた。50年も遅れて最近目覚めたわけか・・・とその落差の大きさに私はしばらく考え込んでしまった。)

「大学での教え方改善学会」(Improving University Teaching)という学会があると教えられて,調べてみると,長年にわたって活発に活動していて,海外にも広く発展しているようである。第二次大戦後の大学教育の一般化による,大学生のレベル低下に地道に粘り強く,上からの押しつけでなく対応してきて,現在でも途絶えることなく活動を続けているのは立派だ。

私自身も,サンノゼ州立大学で,実にきめ細かく行き届いた担任制を見て,また,これも州立のアラバマ大学で,至れり尽くせりの「高校説明会」を見て,これは単なる全入制ではなくて,住居・学費・生活費・学力などすべてにわたって,国民に対する奉仕の精神から来ているのだと知って驚いたことがある。

アメリカの州立大学では,このように全入制に近い形で受け入れた大学生を,かつては,大学によっては半数以上も落として退学へ追いやっていたが,今では入った学生はできるだけ卒業させる方向が定着しているようだ。そのために「講義のやり方」や「学生指導のあり方」も重要な研究課題となっている。

●次回からは,「その下敷きとしての教育(2)」,「日本の大学の講義」をさらに詳しく論じてみたい。

(村田 年)

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