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浅野:英語教育批評:「評価」のことを考える

Posted on 2011年4月22日

「評価」のことを考える
(1)「評価」というのは、教員にとって厄介な問題である。「厄介だ」と言うのは、「学ぶべきことが多くて、理論と実践の乖離が大きい問題」ということである。「英語教育」(大修館書店)の2011年5月号の特集は「『新しい評価』を考える~学習者を育てるために」なので、読んで、「厄介な問題」であることを再確認した。ただし、これは記事の内容についての苦情ではない。そこに指摘されている問題の多さを感じたからである。

(2)冒頭の記事は、松沢伸二(新潟大)「『新しい評価』は定着したのか」で、「新しい評価」とは何かを昭和55年から、その経過を追いながら説明している。私が度々要望してきたように、雑誌の啓蒙記事では、やたらと新語を使うことを避けて、まず必要最低限の用語の定義をすべきだとの声に応えるものとして歓迎したい。今後の問題点の指摘も適切であると思う。

(3)2番目は、渡部良典(上智大)「指導・評価・改善のサイクル:日々の授業に評価を生かすために―」で、これも昭和22年の学習指導要領試案の文章を引用して、評価を授業に生かす方向性は、昔から指摘されていたことを述べている。そして、「英語教育評価をシステムとしてとらえる」として、「システム」の定義や考え方に言及している。その主張に私は賛同したい。

(4)私は教育機器を外国語指導に利用することを目的にする学会(LLA、現LET)に長年関わってきたので、「システム」の考え方の導入には賛成である。英語教師には文科系の出身者が多いので、この考え方は、なかなか受け入れてもらえなかった経験がある。もちろん私だって“素人”であるが、“違う考え方”を受け入れようとするだけの余裕はあった。教員にはそういう“余裕”が必要なのだが、最近の学校は管理体制を強めて、“余裕”を与えない傾向が強いように思えて心配である。

(5)四方雅之(成蹊中・高)「評価のための ITC 活用法」は、まず職場での健康診断を例に、自分に下された「評価」をどう日常生活に生かすかを語り、ITC (information and communication technology) の考え方の基本を述べている。本田勝久(千葉大)「小学校外国語活動における評価」は、普通の「教科の評価」のような「数値による評価」はなじまないという視点から、問題点と対応の仕方を説いている。いずれも関係者には参考になることが多いであろう。   (6)大岩樹生・内藤浩悟(新潟大附属新潟中学)「表現力・発信力を育てる評価」と今井理恵「英語を嫌う生徒の意欲を引き出す形成的評価の活用」は、評価の問題をそこまで広げる前に考えるべきことがあるのではないか、という基本的な問題意識が私にはあるが、記事そのものは、いずれも丁寧に問題点を探っいて、真剣に取り組んでいる様子が伺われるものである。

(7)根岸雅史(東京外語大)「技能統合の評価をどうするか」は、テスティングの専門家が、「技能統合の必要性と意義」から始めて、問題になった「観点別評価」や総合問題のことまでを論じている。最後に「総合問題は、もちろん新学習指導要領の総合的な指導とも無縁である」と述べていることは、読者のもっと知りたい点ではなかろうか。このことを扱った特集が欲しい気がする。次の斉田智里(横浜国立大)「大学英語に求められる評価とは」も、実例や問題点の指摘は適切だと思うが、多様化した大学、短大の実情は把握が難しい。ここでは無理だが、もっと多くの実例報告が欲しいところだ。

(8)長沼君主(東京外語大)「誰のための評価か、何のための評価か―学習者中心の評価を考える―」は、冒頭記事に加えてもよい問題点の指摘であって、学習者中心の授業と評価の在り方などを、用語の定義をしながら、アメリカの新しい試みを紹介し、「学習者中心の授業に学習者中心の評価が組み込まれたとき、持続可能な自律学習が可能となるでしょう」と結論している。このあたりは、もっと議論が必要な点ではないかと感じる。(浅 野 博)

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