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浅野:英語教育批評:「学習者はどういう質問をするか」を考える

Posted on 2011年5月20日

「学習者はどういう質問をするか」を考える
(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2002年6月号の特集は、「生徒からの質問にどう答えていますか」である。「コラム」を含めると11編の記事があるが、取り上げている内容は「綴りと発音」「文字」「疑問文・否定文」「文法・語法」など、ばらばらという印象を受ける。これは各執筆者の責任というより、編集部の姿勢の問題であろう。

(2)確かに学習者の質問は変化に富んでいる。しかし、教員志望者や経験の浅い教員に「あれもこれも」と様々な場合に言及する必要はないであろう。何が基本的で、何が最も重要かという判断がなければならないのだ。そこで、8番目にある、安河内哲也(東進ハイスクール)「よくある質問トップ5」を読んでみると、高校生の大学受験レベルのことしか書いてない。つまりこの特集は、内容ばかりでなく、レベルもばらばらなのだ。

(3)「コラム」の加藤京子・田中知聡「英語を勉強すると将来どんな風に役にたつのですか?」は、私は基本的に重要な問題提起と考えたい。一昔前までは、中学1年生は、それなりの好奇心を持って、「英語」という新しい科目を迎えてくれた。もちろん、個人差に応じた対応は必要だったが、今のように小学校で英語嫌いになってしまった生徒を心配することもなかった。一方、「英語は侵略者の言葉だ。適当に学べばよい」と言う教師もいる。こんな説明不足の言い方で生徒を迷わせることは避けたい。

(4)最初から学習者に向かって1時間も2時間も英語学習の意味を説明するのではなく、学習の進度や教材の内容に応じて、「英語はどんな言葉で、なぜ世界で通用しやすいのか、他の言語のことをどう考えるべきか」を語ることは大切であろう。上述の加藤京子氏は、次のように書いている。「…そして『言語権』の考え方を説明する。英語だけが重要な言語なのではなくどの言語もそれぞれ大事なこと、どこの人にも健康や命、労働条件、名誉に関わることは母語で語る権利が保障されなければならない」(p. 13)。これも確かに大事なことだが、どの段階で、どのように説明するのかを述べる配慮がほしい。「生徒の質問にどう答えるか」は、教師が言いたいことを一方的に言うことではないはずだ。

(5)本号の「英語教育時評」は、大谷泰照氏によるもので、小林多喜二の『蟹工船』や、本国からの指令に背いて、命がけでユダヤ人にビザの発給を続けた杉原千畝のことに言及して、「…個々の人間の内面にまで平気で立ち入り、さらに、それを『踏み絵』として入試の判定さえも行って恬として恥じない。この国の英語教師は、一体、いつからこれほどまでに傲慢になったのか」(p. 41)と述べている。学習者の年齢がいくつであれ、英語教師はこうした“傲慢さ”を反省しながら、質問に答える心構えが大事なのだと思わざるを得ない。(浅 野 博)

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