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「検定教科書の採択問題」を斬る

Posted on 2011年12月12日

(1)2011年12月5日の“産経新聞”は一面に大きく「石川・加賀市教委幹部 教科書採択で圧力か」と報じた。さらに三面では「教科書採択――制度の根幹揺らぐ」と題して解説記事を載せていた。何らかの内部告発があったのであろうが、日本では内部告白者を保護する法律が不完全なようで、もっと内部告発が活発になれば、“オリンパス”や“大王製紙”会社の場合のような不正も防止できたと思う。しかし、一方では、告発内容の真偽を判断する機能も持たなければならないので、簡単な問題ではない。

 

(2)私は今では完全に引退したが、50年近く検定教科書の作成に関与したので、“採択戦”のすさまじさも体験している。若い時はなかったが、年配者になると、“挨拶廻り”をやらされたことがあった。誰に挨拶するのかというと、その土地で有力者とされる校長や採択委員に対してなのである。採択委員は匿名が原則なのだが、そこは“蛇の道は蛇”で、各社の営業部員はどこからか情報を得ているようだった。教科書の著者の一人が挨拶に来たくらいで採否が決まるとも思えないが、営業部員に言わせると、活動がしやすくなるとのこと。困った因習である。

 

(3)検定教科書に関しては他にいくつもの問題点がある。“検定制度”については、1965年に始まった家永三郎(1913-2002)元東京教育大学教授が、「文部省による検定は違憲」と主張した32年にわたる法廷闘争がよく知られている。氏は一審判決では勝訴したこともあるが、結論としては、上告を断念し、1989年で法廷闘争は打ち切られている。

 

(4)この裁判で検定制度が改善されたとはとても思えない。1つの県が同じ教科書を使うという広域採択の問題もあった。どうしても、文部省/ 文科省は「画一的な教育」を前提にしたがる。その結果、地域の特徴や教員の要望を軽視しがちである。“産経”の報じた問題は、ネット上でも多く取り上げられていて、教育委員会に対する批判が強いが、支持か不支持かが分かれることは確かである。さらに、韓国や中国からも領土問題に関連して日本の教科書に対する批判が出ている。領土問題は時の政府が明確な見解を示すことが先決であろう。裁判では、最高裁でも明確な答えは期待できない。社会的な混乱を招くような判断は避けるからだ。

 

(6)日本人は、もっと日頃から歴史に関して議論をしておくべきなのだが、国会の様子を見る限り、それは望むべくもない気がする。日本は、遅まきながら「歴史教育」のあり方を真剣に考えるべき時なのだと思う。

 

(7)「お断り」前々回の「言語文化を考える(その2)」で、私は2冊のアメリカの書物を紹介し、その一冊の章の小見出しについて和訳を示した。

① Levels and Processes in Motivation and Culture 「“動機づけと文化”の程度と処理手順」、② Culture, Narrative, and Human Motivation 「文化と語りと人間の動機づけ」、③ Social Motivation and Culture 「社会的動機づけと文化」

このうち、「人間の動機づけ」とか「社会的動機づけ」については、ブログ仲間で、心理学専攻の土屋澄男さんから、「社会の動因」とか「人間の動因」などとしたほうがよい」との指摘があり、私もそう思うので、そのように訂正します。

(浅 野  博)

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