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日本人の“姓名の順序”のこと

Posted on 2012年3月2日

(1)「英語教育」(大修館書店)の2012年の2月号と3月号のFORUM(読者欄)に、日本人の姓名の順をローマ字表記する場合の順序についての賛否両論が掲載されました。3月号では、江利川春雄氏(近畿大学)が、「名+姓」に反論しながら、「姓+名」の自説を展開しています。最近には珍しい議論らしいものになってはいますが、私が気になる点をいくつか指摘したいと思います。

 

(2)江利川氏は、次のように書いています。

「『姓+名』の日本風表記が ‘Mr. Naoto’ や ‘Hi, Kan!’ のような不都合を招くならば、どちらが姓かを教え、大文字でKAN と表記すればいい」(p. 90)

これは、菅直人首相の場合を例にしたものですが、英米人と出会う度に、こんな面倒なことを実際に出来るでしょうか。“面倒だからやるな”という意味ではなく、実行の可能性を私は問題にしたいのです。それならば、すべての日本の英字新聞に訂正を申し込み、欧米でやるオリンピックの主催国にも、訂正を申し込むのでしょうか。

 

(3)更に江利川氏は、次のようにも書いています。

「ちなみに私は ‘Call me Haruo !’ とは言わない。「はるお!」と呼べるのは母だけの特権だ」。これもずいぶん非現実的な主張です。彼の叔父さんや叔母さんは、彼のことを‘はるおちゃん’とか、‘はるおさん’と呼んではいけないのでしょうか。小学生の時に、彼は同級生が、「はるお」とか「はるおくん」と呼ぶのを禁じたのでしょうか。バカバカしい話しです。

 

(4)私は30年ほど前に、高校の英語の教員数名とこの「姓名の順序」のことを話し合ったことがあります。その時は、「姓+名」の順序にすべきだと主張する人が2名いましたが、「英米人の言う通りにすべきではない」と言いながら、「アイデンティティ(identity)」という英語が好きなようでした。「姓名を逆にされたら、“アイデンティティ”を失う」のように。そういう議論の時くらい、「日本人らしさ」と言ったらどうでしょうか。更にその教員は、「韓国や中国の人を見習うべきだ」とも。別の教員からは、「そんなに韓国や中国の真似をしたいのなら、英語教員を辞めるべきだ」と反論されました。

 

(5)私は姓名を逆にされたくらいで失う“アイデンティティ”なら、もともとそんなものは持っていないのだと思います。日本では苗字の歴史は浅くて、平民が苗字を許されたのは江戸時代です(“苗字御免”参照)。戦後も「漢字の制限や略字の問題があって、親の考えた名前を生まれた子供につけられなかった時代があります(少しずつ緩和されてきましたが)。子供に「悪魔」という名前を付けたいと届け出た親がいて、受付けを拒否されたことで、話題になったこともあります。

 

(6)私の「浅野」という苗字も、戦前はもっと難しい文字でした。ですから、「浅」は略字です。でも私はそれで「自分の主体性が失われた」などとは思いません。当用漢字なんか、お役所の審議会が決めているものでしょう。気まぐれなものです。江利川氏は、国語審議会が「ローマ字の表記を姓名の順と決めたこと」を「熟慮を経て方針転換した」と歓迎していますが、どこで、誰が決めても、自分の意向に沿うものなら歓迎するというのは、私はとても同意出来ません。

 

(7)私は、「英語学習環境の破壊」というテーマで、何回かブログを書いていますが、「意味のない英語まじりの歌詞」「テレビ画面のでたらめな英語の使用」「“低燃費”を頭文字で、TNP と言えば、“かっこいい”と宣伝するコマーシャル」など、その元凶は枚挙にいとまがないほどです。そんな世相の中で、「姓名」の順にばかりこだわるのは賢明なこととは思えません。(この回終り)

(浅野 博)

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