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「英語教育批評」(その71)(“ヘイト・スピーチ”のこと)

Posted on 2013年5月31日

(1)東京新宿区の 新大久保駅周辺には、朝鮮・韓国の人たちが多く、しかも美味しい飲食店があるということで、とてもにぎやかな場所です。しかし、日本のある団体が「朝鮮人は出て行け!」とか「朝鮮へ帰れ!」と書いたプラカードを持ってデモをすることがあるので、暴力事件になることがあります。

 

(2)ここでは、“英語教育批評”ですから、まず“ことば”の問題を考えてみることにします。憎悪を含めた差別的な意識から口をついて出る“ことば遣い”を“ヘイト・スピーチ”(hate speech)と呼ぶようです。私が調べた限りでは、この表現や定義を載せている英和辞典はありませんでした。インターネットを使う人は、“ヘイト・スピーチ”で検索すると様々な情報が得られますから試してみるとよいでしょう。

 

(3)“hate speech” という場合の “speech” は、“演説”という狭い意味ではなく、“話し方”とか、“言葉遣い”という意味で、『ジーニアス英和』(大修館書店)の “speech” の項には、“We could tell from his speech that he was British.” (話し方から彼がイギリス人であることがわかった)という例文があるのが参考になります。

 

(4)“hate” には、“嫌う”という動詞の意味ばかりではなく、名詞として、“嫌悪”とか、“憎悪”といった意味もあります。したがって、“hate speech” は、特に特定の人種に対して、“差別意識や嫌悪感を持って使用することば”と考えることが出来ます。その意味では、昔から英語にある “racist” (人種差別主義者)が似たような用語と言えるでしょう。

 

(5)“人種差別”の問題となると、どうしても政治的な判断が絡んできますので、少し触れざるを得ません。“日本維新の会”の共同代表の一人である橋下大阪市長は、「どこの軍隊も必要としている慰安婦問題で、どうして日本だけが非難されなければならないのだ」という趣旨の発言をして、物議を醸したのはよく知られている通りです。この発言はまだ尾を引いています。

 

(6)弁護士というのは、明らかな殺人犯人でも、弁護をするとなれば少しでも罪を軽くさせようとする人ですから、場合に応じて必要な理屈を言うのは得意なはずです。しかし、裁判官、裁判員や殺人犯も日本文化の中の人間であれば話は通じても、慰安所の女性を、“sex slave” (性的奴隷)と捉える国際的な文化の中では通用するとは限りません。橋下氏はそういう意味では、“グローバル化音痴”であったと言わざるを得ないと私は思います。

 

(7)“国際的な視野の狭さ”という点では、自民党の教育再生会議の方針も同じようなものだと思います。英語さえ話せれば、世界のどこでも通じると考えているようです。自分たちはろくに英語を使えないくせに、すべての大学入学試験に TOEIC やTOEFL を課そうとするのは、日本の英語教育の実状を知らない人間の考えることで、英語教育どころか、日本の教育全体を破壊する愚策であると私は心配しています。(この回終り)

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