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「日英語ことばのエッセー」(その2)(記者の問答)

Posted on 2013年11月6日

(1)新聞記者とかレポーターたちは、一般の人が入れないところへ入れて、関係者にいろいろな質問が出来ます。つまり“国民の知る権利”を国民に代わって実行してくれているわけです。しかしながら、おかしな質問も結構多くて、「そんなことまで尋ねなくてもよいのに」と思うことがあります。

 

(2)例えば大相撲の場合ですと、横綱や大関を負かした平幕の力士に、「前褌(まえみつ)を取っての出し投げはあらかじめ考えていたのですか?」とか、「後3日ありますが、どう戦いますか?」といった質問をします。当の力士は苦しそうに息を切らせて、「何も考えていませんでした」とか、「頑張るだけです」のように答えます。ほとんど聞く値打ちの無い問答です。

 

(3)プロ野球の場合には、実況担当のアナウンサーの他に、3人も4人も“ゲスト”という解説者がいる場合があります。野球は大相撲と違って、守備と攻撃の交代の時以外はゲームが進行していますから、解説者の発言が中途半端になる場合があります。テレビのバラエティ番組の影響なのか、「限られた時間内に出来るだけ詰め込もう」という意図が感じられて興味を削がれてしまいます。

 

(4)『となりのトトロ』とか、『もののけ姫』などのアニメ作品の監督として有名な宮崎 駿監督は、2013年の9月に引退を表明しました。文章とか映像で創作活動をする人には“定年”というものが無いので、珍しい例でした。その際のレポーターの質問も「引退は惜しい」という主観的なものが多くて、しつこいものでした。

 

(5)宮崎監督は、後に「私は文化人にはなりたくない。町工場のおやじでよい」と語ったそうですが、監督らしい皮肉のきいた言い方だと私は思いました。記者会見は改革してもらいたいものの1つです。“改革”と言えば、自民党が「国会運営の改革をする」と言い出したので、何事かと思ったら、「総理大臣が不在でも、国会運営が出来るようにしよう」ということで、ヨーロッパ各国の首相が国会に出ている日数が、日本よりはるかに少ないことを指摘していました。

 

(6)「そんなことを“改革”などと言うな」と私は言いたくなりました。私は国会を久しぶりで開く場合の首相の施政方針演説と、それに続く“代表質問”に対する応答などは改革してもらいたいと思っています。批判的な質問に対して、「対策は実行しつつあります」とか、「今後なおよく検討をするつもりです」といった答弁で具体性が何も無いのです。そんな問答ならば、コピーしたものを新聞社に送付するだけでよいではありませんか。

 

(7)どうして、日本の国会ではアメリカの公聴会のように、「その場で一問一答が出来るような仕組み」にしないのでしょうか。野党の質問もあらかじめ届けておいたものに限定するなんて馬鹿げています。だから答える方もあらかじめ官僚が用意した答弁を棒読みするだけになるのです。

 

(8)「野次る」は当て字のようですが、英語では「野次る」に当たる単語はいくつかあって、”jeer” とか “hoot” のような語があります。定義では、「相手をバカにして怒鳴る」という感じです。会議場などではほとんど聞かれないと思います。意味もなく怒鳴るのではなくて、ユーモアのあるからかいを言うことはあるようです。日本の場合は、議長が「不規則発言はご遠慮ください」などと注意をしますが、議長の言うことをきかない議員は退室を命じたらよいのです。

 

(9)自民党から民主党へと政権が変わった時は当選者が多くて、“常識”の無い議員が増えました。また自民党が多数党になったら、同じような現象が生じました。庶民の意思の反映は難しいものだとつくづく思います。日本は「他国からの侵略」を心配する前に自己崩壊を心配しなければなりません。残念でもあり、恐ろしいことでもあります。(この回終り)

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