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「日英語ことばのエッセー」(その3)(現代の“死語”)

Posted on 2013年11月13日

(1)私の手元に、小林 信彦『現代<死語>ノート』(岩波新書、1997)という本があります。1997年頃にすでに“死語”になっている言葉について書いている本だということは題名から分かると思います。今回はこの本に言及しながら日本語の問題を考えてみることにします。

 

(2)最初から余談ですが、2004年頃、私は某私立大学で教えていましたので、学生にこの本を紹介して、「“死語”とは何か?」と尋ねてみました。ある女子学生は、「ゆいごん(遺言)のことですか?」と問い返しので、私は苦笑せざるを得ませんでした。すでに生徒、学生の学力低下が話題になり始めていた頃でした。ちなみに、“遺言”の英語(one’s will)を尋ねたのですが、知りませんでした。“will” と“shall” の区別を高校で教わって、うんざりしている学生が当時でも多かったのです。これは英語の教え方の問題です。

 

(3)英和辞典は、“a dead language” の例に“ラテン語”を示しているようです。間違いではありませんが、私には次のような経験があります。敗戦後間もなくの頃に私は住んでいた神奈川県横須賀市で楽器店のアルバイトをしたことがあります。お客はほとんどが水兵姿のアメリカ人でしたが、ある日牧師さんらしい人が3人来ました。話している言葉が分からないので、「何語を話しているのか」と尋ねたら「ラテン語だ」という答でした。そして、「それぞれ出身の国が違うので、ラテン語が共通の言葉です」とアメリカ人の牧師さんが説明してくれました。ごく限られた範囲のことですが、一部の人たちにはラテン語が “a living language” (生きた言語)である場合いがあることを知った次第です。

 

(4)「何と申しましょうか…」の始まりについては、小林氏の本に書いてあります。最近のラジオやテレビのコメンテーターの中には、やたらと、「何と申しますか」とか、「何と言ったらよいか」などと言う人が少なくありません。上記の本では、当時のプロ野球の解説者だった小西 得郎(こにし・とくろう)が話し出す時に、「なんと申しましょうか」と言ったのが広まって、「日常会話から物まねの中にまで使われた」としています(p. 22)。私は小西氏の解説を聞いた記憶がありますが、この人の言い方が広まったことには、多少の疑念があります。ただし、反論するだけの材料は持ち合わせていません。

 

(5)書いてあるものを読むのではなく、考えながらしゃべる場合は、誰でも言い方に困ることがあります。私がここで問題にしたいのは、発言者の文章全体の文法的な完結性です。

 

例1:「なんと言ったよいでしょうか、まだ結論に達していないので考慮中なのです」ならば、一応完結しています。

例2:「なんと申しましょうか、この問題には多くの意見がありましてね、私自身はまだ結論には達していないというか、どうとも言えない状態でして…」とだらだらと続いたり、途中で話題が変わったりすると、一貫性に欠ける文章になってしまいます。

 

(6)日本人には、相手の言うことの真意が分からなくても、“分かったようなふりをする”習性があります。特に相手が年上だったり、職場の上司だったりすると、「言い方が間違っていますよ」といった指摘は出来ないものです。しかし、よく理解出来ていないのに、“分かったような顔をする”というのは望ましい態度ではありません。この態度を英語の会話の場合にまで拡大してしまう日本人が少なくないと思います。

 

(7)この悪習を正すにはどうしたらよいでしょうか?まず自分がそういう中途半端な言い方を真似しないように注意することが大事です。誰にでも口癖はあるものです。特に、早口で話す時や、友人たちと気楽に話す時は、口癖が出やすいものです。1日の終りには、短いものでもよいですから、何か文章を書いて反省してみることを薦めたいと思います。

 

(8)“一億総白痴化”という造語は、評論家 大宅 壮一(1900-1970)によるものですが、その後彼は“一億総評論家時代”という言い方もしている、と小林氏の本では指摘しています(p. 29)。“情報化社会”というのは、1960年代の後半頃から始まったとされていますが、今日では情報化はますます加速しています。評論家として発言するのは結構ですが、無責任な発言が増えるのは困ったことです。

 

(9)小中から大学まで、情報化時代への対応の仕方を教える必要があると思いますが、政治家の発言を聞くと、やたらと外来語を使うことで箔が付くと考えているような人物が多いのが心配です。“言葉”というものをもっと多角的に検討し、教育の場に活かすことが先決であろうと私は考えます。(この回終り)

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