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「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その4)(英語教育の現状)

Posted on 2013年12月16日

(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2014年1月号の特集は、「日本の英語教育は今どうなっているのか」です。英語教育に関心のある人であれば、一番知りたいことでしょうから、時宜を得た特集だと思いました。冒頭の大谷 泰照(大阪大学名誉教授)「日本人と『英語』との距離―言語教育のあり方を考える前に」は大局的な観点からの記事と思ったので、2番目の金谷 憲(元東京学芸大学)「英語教育をめぐる議論を整理する―正しい理解のために」をまず読んでみました。

 

(2)金谷氏は、「英語教育」という複雑な営みは、それぞれの人が自分の立場から見ることが多いので、正確な見方が出来にくいことを指摘しています。私もこの点は同感で、特に政治家や官僚たちは、「最初に結論あり」という自分たちの立場だけから英語教育に口を出す傾向があります。

 

(3)それでは、“正しい見方”というのは、どういうものでしょうか。金谷氏は例として、「英語の授業は英語で行う」という文科省の方針を取り上げて、これについても、様々な見方と考え方があることを指摘しています(p. 14~)。極端な場合は、英語ばかりの授業から、全く英語を使わない日本語だけの授業まで存在するとしています。

 

(4)私は持論として、外国語を話すことは、日常的に行う環境に居ないと、すぐに衰える能力だと考えています(少数の天才的な人は存在しますが)。したがって、中学や高校で(小学校を加えても)、週に5時間程度の英語だけの授業があっても、「話すこと」にはほとんど効果は無いと信じています。金谷氏も結論的に、小学校では結構楽しく学んでいるのに、「中学へ行くと文法ばかりでつまらない」という生徒の間違ったイメージが強調されてしまう傾向を指摘しています。そして、今後は十分に時間をかけて、アイディアを出し合い、同僚や保護者の誤解などを解く努力をすべきだ、つまり「急がば回れ」だとしています。これも私は賛成します。

 

(5)三番目の記事は、斉田 智里(横浜国立大)「英語力はどう測るのか―テストの経年比較から分かること」です。テストの結果というのは、生徒はもとより、親も教師も関心が強いものですから、このテーマも多くの人たちが知りたいことだと思います。そして、斉田氏も指摘しているように、誤解されることの多い問題です。誤解の最大のものは、平均点だけを比較して、「日本人の英語力は弱い」とか、「国際比較でビリのほうだ」といった騒ぎになることです。

 

(6)テストの結果処理の方法として、「項目反応理論(IRT)」というものが、1970年頃から開発されました。ごく簡単に言えば、受験者が違ってもその結果を比較することに意味があるようにする方法論です。私は筑波大時代の同僚で、言語テストの先端的研究者であった大友 賢二教授(現名誉教授)にいろいろ教えてもらって勉強したことがあります。大友氏は後に、「日本言語テスト学会」を創設して、活発な活動を続けられました。

 

(7)斉田氏の記事でも、「項目反応理論」に言及していますが、私が気になったのは、「生徒の英語力を測る目的は、学習指導要領目標に照らして生徒の学習状況を把握すること」(p.18)と述べている点です。最近は「英語教育特区」という「指導要領の制限を超えた英語教育を実践している地域」があるのですから、指導要領を前提にしていたのでは、生徒の実態は掴めないと思います(英語教育特区の状況は、インターネットで検索すれば知ることが出来ます)。

 

(8)冒頭の大谷氏の記事も実は「学力の比較」を論じているのですが、英語力だけではなく、数学力の国際比較や、日本人が韓国語や中国語を現地で学ぶような場合の習得結果についても資料を示して考察しています。日本にいる英語教師は、生徒の英語力を考えるべきですが、時にはこうした記事を読んで、視野を広げる努力をすべきです。大谷氏の考え方について詳しく知りたい方には、『日本人にとって英語とは何か―異文化理解のあり方を問う』(大修館書店、2007)を薦めたいと思います。(この回終り)

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